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世尊寺跡(せそんじあと)は、かつて奈良県吉野町吉野山子守に存在した寺院の跡。寺院は吉野水分神社の北に位置し、現在の花矢倉展望台付近にあったとされる。 世尊寺は吉野山金峯山寺の塔頭で、釈迦如来を本尊とし、山号を鷲尾山と号した。寺跡には僅かに梵鐘(重要文化財)と人丸塚と呼ばれる石造物が残る。和州芳野山勝景図によれば、境内には「子守塔」と呼ばれる宝塔があったようである。明治の神仏分離により荒廃して廃寺となったが、本尊の釈迦如来立像は、金峯山寺の蔵王堂に安置され、本尊の脇侍であった阿難、迦葉尊者像は同寺の観音堂に安置されている。また、世尊寺旧蔵の天照大神像、戎神像は大阪今宮戎神社、童形神坐像(伝・聖徳太子像)は吉野山内の竹林院に保管されている。以上の仏像・神像はいずれも鎌倉時代の作である。〔仏像・神像については、大阪市立美術館(2004)pp.339 - 340による。〕 == 梵鐘 == 世尊寺跡に残る梵鐘は「吉野三郎」と通称される。永暦元年(1160年)の鋳造。鐘身の高さ160cm、竜頭を含む総高207cm、口径123cmの大型鐘である。鐘身は上部の径が小さく、裾広がりの形態を呈する。上帯と下帯には唐草文を鋳出する。池の間には陽鋳と陰刻による銘があり、その内容は永暦元年(1160年)の鋳造時の銘、保延6年(1140年)に鋳造された旧鐘の銘の写し、及び寛元2年(1244年)に竜頭を修理した際の銘(陰刻)に分かれる。銘文によれば、保延6年(1140年)に平忠盛が熟銅を施入し鋳造させたものであったが、鐘声が小さいことから、20年後の永暦元年(1160年)に改鋳したものである。さらに、寛元3年(1245年)に竜頭部分の鋳継ぎをしている。制作年代の明らかな平安時代末期の梵鐘として稀有のものであり、重要文化財に指定されている(世尊寺は廃寺となっているため、所有者は本山の金峯山寺となっている。1959年(昭和34年)6月27日に指定)。現在はコンクリート製の鐘楼に収められている。〔梵鐘については『解説版 新指定重要文化財 4 工芸I 』pp.182 - 183、及び、坪井(1993)pp.70 - 74による。鐘の寸法については文献により差異があるが、ここでは実測図の掲載されている坪井(1993)によった。〕 本鐘は俗に「奈良太郎」(奈良・東大寺の鐘)、高野二郎(高野山金剛峯寺大塔の鐘)と併せ、「吉野三郎」と称される(唐から日本へ運ぶ途中に海に沈んだという巨鐘を「海に太郎」と呼び、「海に太郎、奈良次郎、吉野三郎、高野四郎」と称する場合もある)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「世尊寺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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