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世界遺産(せかいいさん)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっている。 == 歴史 == 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の設立後、1954年ハーグ条約が採択され、武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出された。 1960年、エジプト政府がナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設し始めた。このダムが完成した場合、ヌビア遺跡が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60か国の援助をもとに技術支援、考古学調査支援などが行われ、ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が実現した。これがきっかけとなり、国際的な組織運営によって、歴史的価値のある遺跡や建築物等を開発から守ろう、という機運が生まれた。 1965年には関連する国際組織である国際記念物遺跡会議が発足した〔この辺りの流れは、世界遺産の概説書の多くで触れられている。世界遺産アカデミー (2010) など。〕。 他方、アメリカ合衆国ではホワイトハウス国際協力協議会自然資源委員会が1965年に「世界遺産トラスト」を提唱し、優れた自然を護る国際的な枠組みが模索されており、リチャード・ニクソン大統領も1971年の教書において、1972年までに具体化することをはっきりと打ち出した。1972年はアメリカで国立公園制度が生まれてから100周年に当たる〔ルーカス (1998) pp.22-23〕。 それら2つの流れが1972年の国連人間環境会議で一つにまとまった結果、同年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で成立した。翌年アメリカ合衆国が第1番目に批准、締結し、20か国が条約締結した1975年に正式に発効した。 1978年の第2回世界遺産委員会で、アメリカのイエローストーン国立公園やエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リスト登録を果たした。 日本は、先進国では最後の1992年に世界遺産条約を批准し、125番目の締約国となった〔(同年の6月30日に受諾書を寄託、9月30日に発効〔世界遺産検定事務局 (2016a) p.15〕)。なお、現在のリストでは124番目となっているが、これは日本の締約後にユーゴスラビア解体によって繰り上がったことによる。日本の参加が他の国と比べて遅れたのは、国内での態勢が未整備だったためとされるが、他方で世界遺産基金の分担金拠出などに関する議論が決着しなかったためとも指摘されている〔伊東孝『日本の近代化遺産』岩波新書、2000年、p.30〕。 2014年には世界遺産の登録件数が1,000件を突破した。2015年の第39回世界遺産委員会終了時点での条約締約国は191か国、世界遺産の登録数は1,031件(163か国)となっている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「世界遺産」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 World Heritage Site 」があります。 スポンサード リンク
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