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世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 1998年9月25日)は、日本の政治家、医学者。衆議院議員、参議院議員。鈴木善幸改造内閣の自治大臣の他、近畿大学総長・理事長を務めた。学位は医学博士。東京生まれ。正三位勲一等旭日大綬章。父の世耕弘一は衆議院議員。長男は世耕弘武。甥の世耕弘成は参議院議員。 == 来歴・人物 == 日本大学第二高等学校卒業。1949年、日本大学医学部を卒業する。同大学に残り、同大医学部皮膚科学の教授に。1960年 日本大学 医学博士。論文の題は 「紫斑性皮膚疾患の血液学的分布」。〔博士論文書誌データベース〕。 1965年から父弘一のあとを継ぎ、2代目近畿大学総長・理事長を務める。 1967年に第31回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し当選するが(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)、1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。2年後の1971年、第9回参議院議員通常選挙に和歌山地方区に転じ当選する。以後、当選5回。1981年、鈴木善幸内閣の内閣改造で自治大臣兼国家公安委員会委員長として入閣する。 自民党では佐藤栄作→田中角栄派に属したが、1987年に田中派が竹下派と二階堂グループに分裂すると、小沢辰男、後藤田正晴らと共に、どちらにも与さずに無派閥となった。 1989年の第15回参議院議員通常選挙では消費税を争点とする大逆風の中で一人区で当選をする(1989年参院選一人区で当選をした自民党候補は富山県選挙区の鹿熊安正と佐賀県選挙区の陣内孝雄の3人だけ)。 1990年には裁判官弾劾裁判所裁判長を務めた。日本文芸家協会に所属した詩人でもあり、詩画集『七』を共同で出版している。 1998年9月25日、参議院議員在職中に75歳で死去。地盤は甥の弘成が引き継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「世耕政隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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