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丘浅次郎 : ミニ英和和英辞書
丘浅次郎[おか あさじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きゅう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

丘浅次郎 : ウィキペディア日本語版
丘浅次郎[おか あさじろう]
丘 浅次郎(おか あさじろう、明治元年11月18日1868年12月31日) - 昭和19年(1944年5月2日)は、日本動物学者。
== 人物 ==
遠江国掛塚(現・静岡県磐田市掛塚)生まれ。父親が大阪造幣局勤務であったため、少年期は大阪市内で暮らす。大阪英語学校に入学し抜群の成績を修め、その後に旧制第一高等学校の前身である東京大学予備門に入学するも歴史科目のみ成績が極端に悪く、2年続けて落第したため退学処分となる。このため大学への正規課程への入学資格を持たず、1886年帝国大学理科大学動物学科選科に入学する。1891年から3年間ドイツに留学し、アウグスト・ヴァイスマン及びカール・ロイカルトに師事する。帰国した翌年の1895年山口高等学校教授に、その2年後の1897年高等師範学校教授に任命され、1929年定年退官となり、東京文理科大学非常勤講師として勤める。
ホヤなどの分類、発生について研究し、カンテンコケムシ ''Asajirella gelatinosa'' などを記載している。また、進化論の啓蒙活動に貢献し、1904年に日本の大衆向けに書かれた初の進化論の解説書である「進化論講話」を著す。それ以外にも「生物学講話」・「最新遺伝学」など旧制中学水準の生物学教科書を多く執筆し、『丘浅次郎著作集』全5巻がある。1925年帝国学士院会員、日本動物学会会長。
東京文理科大学が母体の一つとなった筑波大学生物学標本室には、ホヤ類の正基準標本が20点ほど所蔵されている〔井上勲 まぼろしの「博物学雑誌」 ,つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 20-21. 〕。
丘は国際補助語にも関心を寄せており、ヴォラピュクを学んだのち、1889年頃にはラテン語などヨーロッパ諸国の言語を基にジレンゴ(Zilengo)という人工言語を考案している。その後、ドイツ留学中の1891年エスペラント(発表は1887年)を知り、日本人初のエスペランティストとなった。そして1906年には黒板勝美らと共に日本エスペラント協会(現在の日本エスペラント学会の前身)を設立した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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