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丙子の役(へいしのえき)は、1636年から1637年にかけて、清が朝鮮(李氏朝鮮)に侵入し、朝鮮を制圧した戦いの朝鮮での呼び名である。中国では丙子之役と呼ばれている。朝鮮の呼称にある胡の字は、古来より漢族が北部や西部の異民族への蔑称として用いていたものであり、胡乱は北西部の蛮族(女真)が乱を起こしたという意味になる。韓国では「朝鮮王朝実録」以来、敵対感が込められた呼称である丙子胡乱 (へいしこらん)が用いられたが、自国中心主義であるとして丙子戦争の呼称も使用されている〔「壬辰倭乱」を「壬辰戦争」に、来年から高校教科書で(1) 中央日報 2011年09月25日〕。 == 背景 == 17世紀初め、中国全土を支配していた明が衰えを見せ、後金が台頭してきた。1627年、後金は反後金親明的な政策をとっていた朝鮮に侵入・制圧し(丁卯の役)、後金を兄、朝鮮を弟とすることなどを定めた和議を結んだ。 1636年、後金の太宗ホンタイジ(皇太極)は皇帝に即位し、国号を清と改め、朝鮮に対して臣従するよう要求した。しかし朝鮮の朝廷では斥和論(主戦論)が大勢を占めたため、仁祖は要求を拒絶し、清と戦う準備に入った。清は朝鮮が謝罪しなければ攻撃すると脅したが、朝鮮はこれを黙殺した。これに激怒したホンタイジは朝鮮侵攻を決意する。 清との戦いが決定的になると、朝鮮は隣国の日本に援軍を乞う事も検討したが、これは実現しなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丙子の乱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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