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両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)は、岡山県赤磐市穂崎にある古墳。周濠を廻らせた前方後円墳である。国の史跡に指定されている。 == 概要 == 周辺の古墳から見て古墳時代中期の5世紀半ばに築造されたと考えられている。 岡山県下では岡山市造山古墳、総社市作山古墳に次ぐ3位の大きさであり〔本古墳は備前地域最大であり、岡山市造山古墳、総社市作山古墳、赤磐市両宮山古墳の順で築かれた。つまり吉備の首長権が備中から備前に移動した可能性がある。(宇垣(1991) 131ページ)〕、全国では39位の規模である。吉備政権の動向を考える上で重要である。 1927年(昭和2年)4月8日、国の史跡に指定された。 墳丘の全長は約194メートル、後円部直径は約103メートル・高さ約20メートル、前方部の長さは120メートル・高さは41メートルである。墳丘のくびれ部両側には大仙陵古墳に見られるような造り出しがある。 平面形が楯形の幅約28メートルの周濠を廻らせ、その外側に周堤をめぐらしていたが、現在、後円部と前方部の一部の周囲は埋め立てられている。 2003年(平成15年)より2005年(平成17年)までの3年間に発掘調査が行われ、周濠が二重に廻らされていることが判明した。調査の結果、外部の周濠は幅は約13メートル、最深部は3メートルあったことが確認された。この結果、周濠を含めた古墳の総長は346メートルに達することとなった。目立った出土品はなく埴輪・葺石も確認されていない。 戦国時代には前方部に和田伊織が砦程度の両宮城を構え、この際に古墳は一部改変されたと思われる。 周囲には、北側に和田茶臼山古墳(両宮山古墳の陪塚として国の史跡に指定)、南側に墳丘長85メートルで周壕を持つ帆立貝形古墳の西もり山古墳と廻り山古墳(前方後円墳)、さらに小山古墳(前方後円墳)と朱千駄古墳が、茶臼山古墳、正免東古墳などの古墳があり、西高月古墳群を形成している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「両宮山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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