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中井 康之(なかい やすゆき、1954年8月7日 - 2014年8月9日)は、京都府出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 == 来歴・人物 == 西京商業高校では、1972年夏の京滋大会府予選準々決勝に進出。花園高の斉藤明雄投手と投げ合い、延長16回の熱戦の末に6-4で勝利。しかし準決勝では西舞鶴高に敗退し、甲子園には届かなかった。本格派で速球を武器に通算26試合で計234三振を奪った。同年のドラフト1位で巨人に指名され入団。エース堀内によく似たタイプと言われていた。 投手として入団も、肩の故障により1978年から外野手へ転向。同年のイースタン・リーグでは首位打者、打点王の二冠に輝く。1979年から一軍に定着、4月11日の阪神戦では球団史上初の初打席初本塁打を記録している。同年は92試合に出場、打率.257の記録を残す。その後も主に外野の守備固めや代走で起用される。1981年の日本シリーズには6試合に出場。第5戦では二番打者として先発し5打数2安打、8年ぶりの日本一に貢献した。1984年限りで現役引退。 引退後は東京都文京区の護国寺に居酒屋「護国寺なかい」を開業。2007年からは店舗を港区芝大門に移転(店名は「芝大門なかい」に変更)。居酒屋の開店に際して、看板や箸袋の店名を長嶋茂雄に揮毫してもらった。長嶋の揮毫した看板は移転後も(「護国寺」の部分を省いて)使用されている。 2014年8月9日、神奈川県内の病院にて食道がんのため死去〔元巨人の中井康之さんが食道がんで死去 日刊スポーツ 2014年8月9日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中井康之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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