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中井 藍江(なかい らんこう、明和3年〈1766年〉 - 文政13年7月22日または7月23日〈1830年9月8日または9月9日〉)とは、江戸時代中期の大坂の絵師。 == 来歴 == 蔀関月の門人。大坂の人。名は直、または眞。通称は養清、養三あるいは養蔵。字は養三、子養、伯養。藍江、師古と号す。銭橋南、後に伏見町心斎橋東に住んでいた。関月に浮世絵を学び、さらに牧谿や李龍眼などを独学、四条派の写生味を加えた山水図、人物図に優れた手腕を発揮し、大坂画壇に一家を成した。また、木村蒹葭堂をはじめとした当代の文人墨客と交わり、中井竹山に詩文を学び、余技に茶道を嗜んだ。作画期は寛政(1789年 - 1801年)から文政(1818年 - 1830年)までである。 文化元年(1804年)刊行の地誌本『播磨名所巡覧図会』(村上石田著)の挿絵を描いている。なお本図会の序と跋は享和3年(1803年)に書かれている。その他に狂歌本などの挿絵を手掛けており、例として文化5年(1808年)刊行の狂歌本『かはころもの記』(鉄格子波丸著)、文化9年(1812年)序の紀行文『東のつと』(西浦祐賢著)などが挙げられる。享年65。墓所は明治になって廃寺となった、生玉の覚円院。 画風は、当時流行していた南蘋派の図様も取り入れつつも、与謝蕪村や四条派風が強い洒脱な南画と言える。余白を大きくとり、簡潔でおおらかな作風だが、悪く言うと大味で説明的である。作品数は比較的よく残っており大作も珍しくない。門人も数多く、に上田公長、山口蘭石、木村片石、水尾龍淵、菊川竹渓、玉手棠洲、鎌田巌松、水尾龍洲らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中井藍江」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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