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中出 那智子(なかで なちこ 1931年- )は、日本の画家。主に油絵。東京都伊豆七島最北の島、伊豆大島大島町波浮港の出身。 == 来歴 == 1931年(昭和6年)、東京都・伊豆大島大島町、波浮港町に生まれる。 彫刻家を目指した父親(長島定一)から詩作や絵画を教わる。 宮本三郎画伯(二科展会員、帝国美術院賞受賞、朝日賞受賞、二紀会結成、芸術院会員、金沢美術工芸大学名誉教授)に師事し油絵を学ぶ。 1956年(昭和31年)、音楽家・中出良一と結婚。 〔中出那智子画家をささえた3人 - 画家を支えた3人公式サイト 2012年03月31日閲覧〕 1956年(昭和31年)、二紀会二紀展初入選(作品 海辺 6号) 1966年(昭和41年)、自由の大地を求めてブラジルに渡る。サンパウロ・弓場牧場にて絵と詩を制作。 1968年(昭和43年)、サンパウロ日本語学校で教える。サンパウロ新聞に紀行記やイラスト入りの詩を連載。 1974年(昭和49年)、処女詩集「美しき野獣」出版。 サンパウロサロン聖美展、サンパウロ・サロン文協展において金賞受賞。サンパウロ美術館に、伊豆大島の女性風俗(衣装)を描いた「水汲み女」が収蔵される。 1979年(昭和54年)、中出良一と共にイタリアに渡り1年滞在。 1980年(昭和55年)、帰国。中出良一の故郷、石川県加賀市に居を構える画業活動を再開。東京大丸百貨店で帰国記念展開催。 1987年(昭和62年)、作曲家の夫・中出良一がくも膜下出血のため急逝。新宿伊勢丹 、金沢大和等の個展を中心に作品を発表。 1989年(昭和64年 - 平成元年)、 詩集「黄色い絵」出版(北国新聞社刊)。 1991年(平成3年)、日本女流美術大賞受賞。 1995年(平成7年)、「中出那智子画帖 ‐ 10才春」を出版。(北国新聞社刊-「MARC」データベース・・・伊豆大島で花を愛し、人を愛し、暮らしのすべてを愛して描き続けてきた絵日記と画帖をもとにまとめられた一冊。画業40年を迎え、画家としての原点を見つめなおす。) 〔那智子画帖10才春 - AMAZONプライム公式サイト 2012年03月31日閲覧〕 2000年(平成12年)、中出良一の若き日の書簡集「那智子への手紙」出版。 2003年(平成15年)、「ふるさとを描く - 中出那智子油絵展」を伊豆大島・藤井工房にて開催。 〔ふるさとを描く中出那智子油絵展 - 藤井工房公式サイト 2012年03月31日閲覧〕 2003年(平成15年)、「優しい元気のおすそわけ - 出那智子油絵展」石川県加賀市「ギャラリー萩」にて開催。 2003年(平成15年)、「中出那智子油絵展」東京上野松坂屋百貨店にて開催。 2004年(平成16年)、「南欧の街角 中出那智子油絵展」東京新宿伊勢丹百貨店にて開催。 2004年(平成16年)、「夜明けのサンバ - 中出那智子油絵展」石川県小松大和6階アートサロンにて開催。 2004年(平成16年)、作曲家中出良一作品集CD「さくら貝」を自費出版。夫の出身地である石川県加賀市に住み、現役で創作活動を続けている。 〔中出那智子 伊豆大島出身の洋画家 - 伊豆大島 木村五郎 記念館公式サイト 2012年03月31日閲覧〕 2005年(平成17年)、「南米・欧州の風 - 中出那智子油絵展」東京上野松坂屋南館7階美術画廊にて開催。 2006年(平成18年)、中出那智子「画業50周年記念作品展」を伊豆大島・藤井工房にて開催。 2009年(平成21年)、「色彩豊かに 中出那智子油絵展」上野松坂屋南館5階にて開催。 2011年(平成23年)、宮本三郎画伯の愛弟子であり、秘蔵子とも評価されつつ、80歳となった現在も画業・活動を続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中出那智子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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