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中印国境紛争 : ミニ英和和英辞書
中印国境紛争[ちゅういんこっきょうふんそう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [しるし, いん]
 【名詞】 1. (1) mark 2. (2) symbol 3. (3) evidence 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
国境 : [こっきょう]
 【名詞】 1. national or state border 
: [さかい]
 【名詞】 1. border 2. boundary 3. mental state 
紛争 : [ふんそう]
  1. (n,vs) dispute 2. trouble 3. strife 

中印国境紛争 : ウィキペディア日本語版
中印国境紛争[ちゅういんこっきょうふんそう]

中印国境紛争(ちゅういんこっきょうふんそう、英語:Sino-Indian Border Conflict、簡体字:中印边境战争)は、中華人民共和国インド国境問題により、1962年に中華人民共和国がインドに侵攻し生じた紛争のこと。

== 経緯 ==

かつての中華民国と長年イギリス植民地であったインドは、途中にネパールブータンを挟んで長く国境を接していた。ほぼ全域がヒマラヤ山脈といった高山地帯であり、正確な国境はあいまいであったものの、事実上独立ダライラマ政権統治下にあったチベットに中華民国の実効支配が及ばなかったこともあり、両国間の国境紛争は、1914年シムラ会談の決裂以来、沙汰止みになっていた。
その後、国共内戦を経て1949年建国され、中華民国に代わり中国大陸を支配し、1950年にはチベット侵攻を行った中華人民共和国とインドは、両国の国境の解釈をめぐって対立した。中国共産党は、ロシアその他の列強領土を奪われた経験から、軍事的実力のない時期に国境線を画定してはならないという考え方を持っており、そのため中国国内が安定し、周恩来ネルー平和五原則の締結により、インドが中国に対し警戒感を有していない機会を捉えようとしていたとの見方がある。こうした状況下で1959年9月にインドと中華人民共和国の両軍による武力衝突が起き、1962年11月には大規模な衝突に発展した。軍事的優位を確立してから軍事力を背景に国境線を画定する例は、中ソ国境紛争など他にも見られ、その前段階としての軍事的威圧は中国に軍事的優位を得るまでの猶予を与えたものとみなされる事も多い。
主にカシミールとその東部地域のアクサイチンおよびラダックザンスカールバルティスターン、ブータンの東側(後のアルナーチャル・プラデーシュ州)で激しい戦闘となったが、周到に準備を行い、先制攻撃を仕掛けた中国人民解放軍が勝利を収め、国境をインド側に進めた。インドの保護国だったシッキム王国では、ナトゥラ峠を挟んだ地域で小競り合いが起き、峠の西側は中国となった。
なお、1950年代後半より表面化した中ソ対立の影響で、ソビエト連邦はインドを支援していた。また印パ戦争ではパキスタンを中華人民共和国が支援しており、中ソ両国の対立が色濃く影響していた。この紛争は、インドが核兵器開発を開始するきっかけともなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中印国境紛争」の詳細全文を読む




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