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中原会戦(ちゅうげんかいせん)とは、日中戦争中の1941年(昭和16年)5月から6月の間、山西省南部で行われた日本軍と中国軍の戦闘である。北支那方面軍が中国第1戦区軍の包囲殲滅を狙い、大きな戦果を上げた。百号作戦とも呼ばれる。中国側の呼称は中条山戦役、または晋南会戦。 == 背景 == 1940年(昭和15年)秋頃、第1軍は管内(山西省周辺)の敵情について、中国共産党軍(八路軍)は百団大戦後の日本軍の討伐により戦力は回復しておらず、また山西軍(第2戦区軍)も戦力が低いと判断していた。そこで第1軍は、依然として山西省南部の山岳地帯(中条山脈)を拠点にしている衛立煌将軍指揮下の中央軍(第1戦区軍)を撃滅し、山西省内の治安圏を拡大するための作戦を計画した。この第1軍の計画には北支那方面軍も全面同意し、支那派遣軍はその戦力充実のために華中から第17、第33師団の2個師団を転用することに決定した〔第33師団は第1軍に配属し、第17師団は第12軍に配属して第21師団と警備を交代させ、第21師団を北支那方面軍直轄として作戦参加。〕。 1941年(昭和16年)度の最初の攻撃目標に中共軍ではなく重慶政府指揮下の中国軍を選ぶことについて、方面軍第2課は、中共軍の剿滅を優先するべきであると反対した。しかし、この中国軍の警戒のために日本軍の3個師団がに張り付けられていたので、まずこれを撃滅してから全力で対中共戦に当たるという方面軍第1課の意見が優位を占めた。 北支那方面軍はこの会戦のために、第1軍を山西省方面から、直轄の第21、第35師団を河南省方面から攻撃させるように準備を進め、作戦地域を山西・河南省境付近に計画した。また第1軍は、事前準備として3月に「陵川作戦(リ号作戦)」、「第15軍撃滅作戦(ヨ号作戦)」を行なって本会戦に有利な態勢を整えた。このように、日本軍は徹底した兵力の集中と周到な事前準備でこの作戦に臨んだ。〔『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 369-370頁。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中原会戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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