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中国科学史 : ミニ英和和英辞書
中国科学史[ちゅうごく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中国 : [ちゅうごく]
 【名詞】 1. (1) China 2. (2) South-west most region of Honshu 3. middle of a country 4. the Hiroshima area 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [か]
  1. (n,n-suf) department 2. section 
科学 : [かがく]
 【名詞】 1. science 
科学史 : [かがくし]
 (n) history of science
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

中国科学史 ( リダイレクト:中国の科学技術史 ) : ウィキペディア日本語版
中国の科学技術史[ちゅうごくのかがくぎじゅつし]

中国の科学技術史(ちゅうごくのかがくぎじゅつし)は、長い歴史をもち科学技術の発展に大きく寄与してきた中国における科学と技術の発達を対象とする。古代にはギリシアの哲学者と他の文明圏、および中国の哲学者がそれぞれ独自に科学技術数学天文学を発達させた。彗星日食超新星の世界最古の観測記録が残っているのは中国である〔Ancient Chinese Astronomy 〕。伝統医学鍼灸術漢方薬も実践された。
初期の発明
 *
には算盤・影時計・天灯など世界初の人工飛行体などがある〔''Inventions'' (Pocket Guides).〕。古代中国の4大発明といわれる羅針盤火薬印刷は最も重要な技術革新であるが、ヨーロッパに伝わったのは中世も終わりごろである。朝(618年-906年)はことに発明が続いた時代である〔。ヨーロッパと中国の間で知見の交換が始まったのは朝以前のことである。
イエズス会中国使節は16世紀-17世紀に西洋科学と天文学を中国に持ち込み社会改造に利用する一方、中国技術の知識をヨーロッパに持ち帰った〔〔Agustín Udías, p.53〕。欧米における中国科学史研究の初期の業績の多くはジョゼフ・ニーダムに帰することができる。近代以後の日本では薮内清らがこの分野を手がけてきた。
==古代技術==

古代中国に始まり長く実用に供されているもののひとつに、道教に由来する鍼灸術漢方薬などの伝統中国医学がある。鍼灸術の実践は紀元前1世紀に遡ることができる。鍼灸術に類似した医術は青銅器時代ユーラシアですでにみられたとする科学者もいる〔, 〕。
古代中国は数学や天文学に使う計数・計時装置も発明した。日時計の前身である影時計が中国で出現したのは4000年前のことであるが〔''Inventions'' (Pocket Guides).〕、算盤の発明は紀元前1000年-500年の間ごろである〔Video: Computers: The Abacus . Encyclopædia Britannica.〕〔The Invention of the Abacus . Maxfield & Montrose Interactive Inc.〕。これらを使った中国人は紀元前2137年に初めて日食観測の記録を残し、紀元前500年には最初の惑星の記録を作成した〔。『絹本』は紀元前400年頃に著された史上初の彗星図解である。約300年間に出現した29彗星を掲載し、彗星の出現を地上の出来事と関連づけて解釈した〔。
建築では中国技術の頂点に立つのが、紀元前220年-紀元前200年頃に在位した始皇帝の時代に建設された万里の長城である。秦に続くの時代から19世紀まで中国の一般建築に大きな変化はなかった〔''Buildings'' (Pocket Guides).〕。秦の時代に弩が改良されたが、これはのちにヨーロッパに渡り武器の主流になった。始皇帝の墓から出土した兵馬俑墓から数点のが見つかった〔Weapons of the terracotta army 〕。
東漢の学者で天文家の張衡78年-139年)は渾天儀(=天球儀:世界初の天球儀は古代ギリシアエラトステネスが発明)を発明したが、これは2,500の恒星と100以上の星座を収めている。132年に張衡は世界初の感震計を発明し、『候風地動儀』と名づけた〔People's Daily Online 〕。
後漢25年-220年)の歴史によれば、この感震計は壺のような形の装置で、8個の球のうち1個を落下させて、いつ、どの方向に大地が揺れたか(震源)を知らせるという〔。2005年6月13日、中国の地震学者がこの複製を作成したと発表した〔。
機械技術者の馬鈞200年-265年ころ)も古代中国で際立つ人物である。馬鈞は絹の機織機を改良し〔Needham, Volume 4, Part 2, 39.〕、機械式チェーンポンプを設計して庭園に給水し〔、水転百戯(目隠しをした大きな水車を動力に動く大きく複雑な人形芝居)を創作、明帝に献上した〔Needham, Volume 4, Part 2, 158.〕。しかし馬鈞最大の発明は指南車であろう。これは複雑な構造の機械式羅針盤車である。これは各々異なる速度で回転する車輪に同じトルクを配分する差動歯車を組み込んでいるが、これは現代の自動車がすべて装備している機構である〔Needham, Volume 4, Part 2, 40.〕。
ノギスは中国で2,000年以上前に発明された〔。また中国文明は航空の領域に世界で初めて踏み込んだ。天灯熱気球の原型)は人類初の『飛行機』といえる。
後漢時代に成立したと見られる著者不明の『九章算術』と言う算術書には様々な数学の問題が載っており、後には数学教育のテキストに採用されている。魏の劉徽は『九章算術』の注釈のなかで、円周率を計算して、3.1416という近似値を得ている(「円周率の歴史」参照)
南北朝時代の数学者の祖沖之は円周率を3.1415926と3.1415927 の間であると推算し、その密率を 355/113 と決めている。これは当時の世界で最も正確な値であったようである。また彼の息子の祖暅祖暅之)は半径 r の球の体積が\frac\pi r^で求められることを考え出した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中国の科学技術史」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 History of science and technology in China 」があります。




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