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中国語会話(ちゅうごくごかいわ)は、NHK教育テレビジョンで2008年3月まで放送された中国語の語学番組である。1967年4月に「テレビ中国語講座」として放送が開始された。 == 概要 == 1967年、NHKは新たに国連公用語の講座番組を設けることになり、テレビ「スペイン語講座」(制作:大阪中央放送局=当時)とともに、「中国語講座」(制作:NHK京都放送局)の放送を開始した(京都での制作は1990年3月30日まで)。講師は相浦杲、望月八十吉の2人、ゲストは金毓本、高維先、王蕙茹の3人であった。 番組を始めるに当りNHK側から講師への要望として # 月水金の週3回、午後6時から6時半の放送。 # 普通語(中国共通語)を教える。 # 注音符号ではなくローマ字、簡体字を用いる。 などがあった。 テーマ音楽は南安雄作曲、大阪放送管弦楽団演奏の中国風ボサノバの曲であった。テレビ講座の放送が始まると「中国語教育上画期的な革命的なできごと(中略)私は4月の最初のテレビ講座を視聴して、そのすばらしさに圧倒され今まで通り大学で授業するのがいやになったほどである」(坂本一郎関西大学教授)〔NHK中国語講座テキスト1967年12月号(p.55)〕などの声が。しかし、当時は文化大革命の最中であり、日本国内では学園紛争が燃え盛っていた。中国語講座は左右からの攻撃の標的になろうとしていた。 1970年度の放送分について、東京本部から、テキスト原稿にある北京の実在の胡同(横丁)などの名と、『白毛女』という劇名の二つを架空のものに変えるようにとの指示があった。さらにパンダや万里の長城、長江大橋などを紹介するならば台湾をも紹介せよとの指示が加わった。制作現場は混乱した。遂に二人の講師の番組出演拒否、さらには現代中国学会会員全員のNHK出演拒否と事態は深刻化した(NHK中国語講座事件)〔冨崎哲著『恥の上塗り』岩波ブックセンター(pp.63 - 70)〕。その直後1971年7月ヘンリー・キッシンジャー特使が北京に飛び、翌1972年2月にニクソン訪中、9月には田中角栄首相訪中、日中国交正常化と世界は激変し、この問題は実質的に消滅した。 その後は香坂順一、藤堂明保、輿水優、榎本英雄などの講師が次々に番組を担当した。テーマ音楽も「」(、革命模範劇『白毛女』のテーマ曲)に変更になった1990年代に入ると、取り上げられる教材の幅が広がりを見せ、中国映画の紹介などが取り入れられた。21世紀に入ると、NHKテレビ外国語講座全体の改革と連動して、番組内容は大きく変化を見せた。 北京オリンピック開催を期に、NHKは語学講座の抜本的再編に着手した。2008年3月をもって、歴史に幕を下ろした。後継番組は、『テレビで中国語』である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中国語会話」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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