|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 地 : [ち] 1. (n,n-suf) earth ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal) ・ 一 : [いち] 1. (num) one
中地 雄一(なかち ゆういち、1986年6月18日 -)は、地方競馬の川崎競馬場吉橋淳一厩舎所属の元騎手。勝負服の柄は胴紫・黄山形一文字、袖桃。神奈川県出身。身長166.6センチメートル、体重46.3キログラム、血液型B型〔中地雄一騎手がデビューします! - 川崎競馬倶楽部〕。地方競馬教養センター騎手課程第79期生〔第79期騎手候補生修了式 - 地方競馬情報サイト〕。 実父中地健夫は川崎競馬の元騎手、現厩務員。親子で同じ馬の仕上げにかかわったこともある。 == 来歴 == 2004年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得〔平成15年度第4回調教師・騎手免許試験新規合格者発表 - 地方競馬情報サイト〕し、足立勝久厩舎からデビュー〔。同年4月26日、川崎競馬第3競走の3歳七組条件戦(93万円以上157万円未満)ヤマノロビンスターでレース初騎乗〔(9頭立て6番人気2着)。 2005年10月1日付けで足立勝久厩舎から〔長谷川三郎厩舎に所属が変更された〔川崎競馬TOPICS (川崎競馬倶楽部、2005年)「中地騎手が所属変更」を参照〕。 2006年5月15日の調教中に膝下を骨折する怪我を負い、全治2か月と診断されたが、その後の検査で完治まで時間がかかることがわかり、結局16か月休養することとなった。2007年8月30日、川崎競馬第10競走(C1四組条件戦)キョウエイイーグルで騎乗を再開した(10頭立て8番人気3着)。 2007年11月19日、浦和競馬第7競走(C2二組三組四組条件戦)で3番人気セユーサクラに騎乗し優勝、デビュー120戦目にして初勝利を挙げた〔川崎の中地雄一騎手が初勝利 (netkeiba.com、2007年11月19日)〕〔中地 雄一(なかち ゆういち) - 川崎競馬倶楽部〕。 長谷川調教師の死去〔長谷川三郎調教師の逝去について (川崎競馬、2010年1月12日)〕に伴い、2010年1月25日付けで田村豫志雄厩舎へ所属が変更され〔藤江渉騎手及び中地雄一騎手の所属調教師の変更について - 川崎競馬公式Webサイト〕、さらに3月1日付けで鈴木敏一厩舎に所属が変更された〔中地雄一騎手の所属調教師の変更について - 川崎競馬公式Webサイト〕。同年10月4日から12月31日までの予定で高知競馬場で期間限定騎乗を行った〔中地雄一騎手及び郷間勇太騎手の期間限定騎乗について - KAWASAKI KEIBA〕が、期間を延長し翌2011年1月4日まで騎乗した〔中地雄一騎手の期間限定騎乗の延長について - KAWASAKI KEIBA〕。高知競馬での所属は田中守厩舎。 2011年3月11日、鈴木敏一調教師の死去に伴い、同年3月14日付けで内田勝義厩舎へ暫定的な所属変更。その後同年7月9日付けで吉橋淳一厩舎に所属が変更された〔騎手の所属変更について - KAWASAKI KEIBA〕。 2012年4月の川崎開催を最後に引退。 地方競馬通算成績は355戦4勝・2着18回・3着21・勝率1.1%・連対率6.2%。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中地雄一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|