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中埜酢店 : ミニ英和和英辞書
中埜酢店[なか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [みせ]
  1. (n,n-suf) store 2. shop 3. establishment 

中埜酢店 ( リダイレクト:ミツカン ) : ウィキペディア日本語版
ミツカン[みせ]

株式会社ミツカン(''mizkan'')は、調味料納豆を主力製品とする株式会社ミツカングループ本社(非上場)傘下の大手食品メーカー(事業子会社)である。事業持株会社である株式会社Mizkan Holdings(ミツカンホールディングス)や食品製造を担う株式会社ミツカンサンミ、資産管理部門の株式会社中埜酢店などと「ミツカングループ」を形成している。愛知県半田市本社を置く。
==概要==

江戸時代中期の1804年文化元年)、中野又左衛門により尾張国知多郡半田村(現在の愛知県半田市)で酒造業として創業。以後、代々社長は「中野又左衛門」(四代目以降「中埜」)を名乗り、戸籍上の名前も変更している。1923年大正12年)、株式会社化。
この地域でさかんな日本酒の製造後に残る酒粕を用いて酢を作り、を用いた酢より安価であったため江戸庶民に寿司が普及する要因となった。1887年明治20年)、三本線に丸をつけたロゴを商標登録。なおロゴの三本線≡は、中埜家の家紋が由来であるが、酢の命でもある「味」「利き」「香り」の意味も持っており、下の丸○は「天下一円」を意味している。
昭和40年頃からは、ロゴを冠したミツカン酢の琺瑯看板が全国各地で取り付けられ、現在でも地方では残存している。1986年(昭和61年)には、日本唯一の酢の総合博物館として博物館「酢の里」を開館した。生産している酢はのが特徴。日本における醸造酢のシェアは高い。
第二次大戦後、加工・チルド食品に参入し、1964年昭和39年)に瓶詰めの味付けポン酢の元祖となる「ミツカン味ぽん」〔【ミツカン 味ぽん】鍋専用調味料として生まれた味ぽん誕生の秘密(男の浪漫伝説 Vol.69) ドリームメール 〕、1982年に混ぜ込みふりかけの「おむすび山」、1988年にめんつゆ(後年「追いがつおつゆ」へ改称)を発売。
1997年に朝日食品を買収して酢の発酵技術を使用した「金のつぶ」シリーズは、首位のタカノフーズ(おかめ納豆)に次ぐシェアを占めた。2009年には経営破綻したくめ・クオリティ・プロダクツの主力商品である「くめ納豆」の商品販売権等を買収し、ミツカンを通じて販売される。2011年には旭松食品株式会社(長野県)から、「なっとういち」ブランドの納豆事業を引き継いだ。納豆菌の保有数も日本一である〔愛知県半田市の日本一・ミツカン 〕。
清酒「国盛」を展開している中埜酒造はかつてはミツカングループであった。直接の資本関係はないものの、若干の人事交流や一部業務については協力している。なお、中埜家は同郷の盛田家とかつて人的関係があり、一時期ソニーの大株主に名を連ねていた。
家庭用の寿司はミツカンブランドが世界的に有名で、どこの国のスーパーでも入手することができる〔福江誠 『日本人が知らない世界のすし』 日本経済新聞出版社 2010年〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミツカン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mizkan 」があります。




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