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中塚政幸 : ミニ英和和英辞書
中塚政幸[なかつか まさゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 

中塚政幸 : ウィキペディア日本語版
中塚政幸[なかつか まさゆき]

中塚 政幸(なかつか まさゆき、1945年6月29日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手一塁手外野手)。愛称はゴリさん
== 経歴 ==
中学時代は投手だったが、PL学園高では一塁手に転向し、甲子園に3回出場する。2年生の、春の選抜にチームが初出場、準々決勝に進むが松山商山下律夫投手に0-9で完封負け〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏の甲子園は、2回戦で日大三に敗れた〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。翌の春の選抜に同期のエース戸田善紀を擁し出場するが、2回戦で北海吉沢勝投手に抑えられ逆転負け〔。同年の夏は府予選決勝で和田徹捕手のいた明星に敗れる。明星は甲子園で優勝〔。
卒業後は中央大学に進学、4年生時には主将を務めた。東都大学リーグでは、同期の宮本幸信投手の好投もあり春季リーグで優勝、中塚は最高殊勲選手に選ばれる〔「東都大學野球連盟七十年史」 東都大学野球連盟編纂委員会 2001年〕。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で藤原真投手を擁する慶大を3-1で破り、中大を初優勝に導く。同年は第7回アジア野球選手権大会にも出場、日本の優勝に貢献している。リーグ通算104試合出場、336打数96安打、打率.286、4本塁打、36打点。ベストナインに3回選出される。
、ドラフト2位で大洋ホエールズに入団。2年目のにはレギュラー一塁手に定着、規定打席数(12位、打率.275)にも達する。翌以降は強肩俊足を活かし中堅手に転向、以後コンパクトな鋭いスイングでヒットを稼ぐ一番打者として活躍した。には28盗塁で盗塁王を獲得〔年度別成績 1974年 セントラル・リーグ 〕。には打率.317(9位)、にも打率.306(7位)を記録、しかしからは屋鋪要の台頭もあって出場機会が減る。
に現役を引退してからも大洋・横浜一筋で、からまでスカウト、からまで一軍守備・走塁コーチ、からまで一軍打撃コーチ、からまで二軍監督を務めた後、横浜のスカウトとしてまでルーキー発掘に尽力した。しかし、スカウトの若返りと木村雄太投手の指名責任という球団の方針で解雇となった。
より、TBSニュースバードの横浜ベイスターズホームゲーム中継の解説者を務めていた。
ベースボール・チャレンジ・リーグ群馬ダイヤモンドペガサスで育成総合コーチを務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中塚政幸」の詳細全文を読む




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