|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 中央 : [ちゅうおう] 【名詞】 1. centre 2. central 3. center 4. middle ・ 帝 : [みかど] 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence ・ 帝国 : [ていこく] 【名詞】 1. empire 2. imperial ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
中央アフリカ帝国(ちゅうおうアフリカていこく、)は、1976年12月4日に中央アフリカ共和国の大統領ジャン=ベデル・ボカサが国号の改称を宣言してから、1979年9月20日にクーデターにより帝政崩壊するまでの間に用いられた国号である。2016年現在、国号に「帝国」を冠した最後の国家でもある。 Imperial_Standard_of_Bokassa_I_(1976–1979).svg|皇帝旗 == 概要 == ボカサは1976年12月4日に帝国への国号改称を宣言し〔『世界の最凶独裁者 黒歴史FILE』、73頁。〕、ちょうど1年後の1977年12月4日に戴冠式を挙げ、皇帝ボカサ1世となった〔。戴冠式には国家予算の3分の1にあたる日本円にして約65億円を費やしたとされる〔。戴冠式には国際儀礼で皇帝と同格とされる日本の昭和天皇〔とイラン帝国のモハンマド・レザー・パフラヴィーを招待したが、二人とも出席しなかった(ただし、昭和天皇は祝電を送っており、日本政府も国号改称を承認している)。フランスは帝国を承認し、物資援助を続けた。だが、既に帝国は粛清による人材不足、赤字経済が重なり、崩壊への道を辿っていた。 1979年1月、反帝政の学生デモが勃発したが、ボカサはこれを武力鎮圧、約100人の小学生を含むおよそ400人の死者を出した〔。この後、フランスも帝政打倒を画策、ボカサは新たなる同盟者を求めてリビアに向かった。その訪問中の9月20日、フランス軍の無血クーデターが起き、帝政は廃止され、ボカサは亡命を余儀なくされた〔。数年間の亡命生活の後、ボカサは1986年に帰国、1987年に死刑を宣告されたが、1993年に釈放された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中央アフリカ帝国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|