|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 中央 : [ちゅうおう] 【名詞】 1. centre 2. central 3. center 4. middle ・ 研究 : [けんきゅう] 1. (n,vs) study 2. research 3. investigation
中央研究院(ちゅうおうけんきゅういん、略称は中研院, Academia Sinica)は台北市南港区に位置する中華民国(台湾)の最高学術研究機関(国立アカデミー)。組織上は中華民国総統府に直属し、人文、科学の研究、指導、連絡、学術振興、人材育成を行なっている。 1928年6月9日に南京に設立されたのが前身であり、初代院長は蔡元培、現院長は翁啓恵である。また、中華人民共和国の中国科学院及び中国社会科学院に相当する。 ==沿革== 1927年4月17日、中央政治会議第74次会議が南京で開催され、李煜瀛(石曽)より中央研究院設立案が提出された。会議により決意された設立案は李煜瀛(石曽)、蔡元培(孑民)、張人傑(静江)により中研院組織法が共同起草された。5月9日、中央政治会議第90次会議で中研院設立準備室の組織が決定し、蔡元培、李煜瀛、張人傑、褚民誼、許崇清、金湘帆が準備委員に任命された。7月4日には「中華民国大学院組織条例」が公布、設立準備中の中研院を中華民国大学院の付属機関の一つと位置づけることが決定した。更に11月9日、「中央研究院組織法」が公布され,中央研究院は国民政府に直属し、中華民国最高学術研究機関とすることが法律で明確に規定され、物理、化学、工学、地質、天文、気象、歴史語言、国文学、考古学、心理学、教育、社会科学、動物、植物の14研究所の設立が決定した。11月20日、大学院院長である蔡元培は学術界の30名を中研院設立のために招聘し、設立準備が具体的に進められた。設立への具体案として優先して理化実業研究所、地質調査所、社会科学研究所、気象台の4研究機関を設立する事が決定し、各準備委員により積極的な準備が進められた。 1928年4月10日、「修正国立中央研究院組織条例」が制定され、中研院は独立機関に変更された。そして4月23日には蔡元培を院長に選出、5月には事務取り扱いが開始され、6月9日に第1回院務会議が上海東亜酒楼で開催され、中研院の成立が正式に宣言された。中研院創立に関与したメンバーは中国科学社の研究員であり、中研院成立後は中国科学社を吸収し、中国の科学界を代表する地位を確立した。 初代院長蔡元培の任期内に中研院は南京、上海などに研究所10ヶ所を設置、理化実業、社会科学、歴史語言の3研究所及び地質調査所、気象台及び自然歴史博物館が活発な活動を行なった。日中戦争中は、戦乱を避けて中研院は昆明、桂林、重慶等へ疎開し、終戦後に再び北京、上海などに戻った。1948年3月26日、中研院院士81人を選出し、9月23日に第1回院士会議を開催、ここに中研院の体制が確立されたのであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中央研究院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|