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『中学生日記』(ちゅうがくせいにっき)は、1972年4月9日から2012年3月16日まで放送されたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマである。 なお、本番組の系譜はそれに先立つ1962年4月7日から『中学生次郎』(ちゅうがくせいじろう)〔NHKアーカイブス 〕のタイトルで放送が開始され、以後、『中学生時代』(ちゅうがくせいじだい)→『高校生時代』(こうこうせいじだい)→『われら高校生』(われらこうこうせい)→『中学生群像』(ちゅうがくせいぐんぞう)と番組タイトルを変えつつ本番組へと受け継がれており、本項目ではこれらの前身番組についても記述する。 == 概要 == 名古屋市にある中学校を舞台にしたテレビドラマのシリーズ。1967年度と1968年度の2年間のみ高校が舞台となったこともあったが、以後は番組終了まで中学校を舞台とした。 NHK名古屋放送局管内で1960年から放送されていた地域放送「教育相談番組」の中の企画である、再現ドラマがシリーズの前身である。1961年の名古屋放送局テレビスタジオ完成に伴い、全国放送による同局の制作枠が毎週1本新設されることになり、前述の再現ドラマを単独番組とする形で、1962年に「中学生次郎」の番組名でシリーズは開始された。当初の番組スタイルは再現ドラマパートと、有識者・保護者・生徒による討論パートの2部構成であり、番組タイトルの通り、中学2年生の主人公である次郎の、学校生活や私生活などの諸問題を検証していく。当初は中学生ではなく、母親を視聴対象とした番組であった。1963年の「中学生時代」からは主人公がエピソード毎に代わる、シリーズ終了まで続くスタイルとなり、1969年の「中学生群像」からは討論パートが廃止され、ドラマをメインとする構成となり、討論パートについては年に数回、30分全編を討論形式とするスタイルとして放送されるようになった。視聴対象も当初の母親から、中学生へと変化していった〔教育ドラマ『中学生日記』 なつかしの番組 ドラマ編 (NHKアーカイブス公式サイト内)〕〔中学生日記(1) ドラマ アカイさんノートNHK (NHKアーカイブス公式サイト内)〕。 開始当初から、教師同士の赤ちょうちんの場面が出るなど、長らく従来のホームドラマのような様相を呈していた。1990年代後半以降は視聴者の意向を受けて、次第に道徳的となっていった。1981年度までは名古屋市立東南中学校、1982年度から2000年度までは名古屋市立名北中学校(めいほく-)、2001年度以降は名古屋市立東桜中学校(とうおう- 〔校名の由来は、現在のNHK名古屋放送局の所在地、名古屋市東区東桜(ひがしさくら)の地名に因む。〕)という架空の公立中学校を舞台とする中学生の学校生活や私生活などの諸問題を、毎回一話完結もしくは2 - 4話程度の連続ドラマを通して検証していく内容を基本としていたが、前述の通り討論形式での放送や、現在の「ティーンズプロジェクト フレ☆フレ」に近いスタイルでのドキュメンタリー形式での放送も年に数回実施されていた。なお、新作の放送期間は中学校における春休み・夏休み・冬休み期間中を除いた期間となっており、春休み・夏休み・冬休み期間中については過去に放送されたエピソードの再放送を実施していた。 出演していた中学生は「日記生」(にっきせい)と呼ばれており、毎年11月 - 12月に行われていた生徒役オーディションにより、当時名古屋近郊に在住していた小中学生の中から選ばれ、ほぼ全員が実名のままの役名で出演していた。当番組の大きな特徴として、日記生の大半は番組出演当時においては芸能人ではなく、児童劇団や芸能事務所、モデルエージェンシーに所属していない素人の一般人であったことであり、オーディションにおいての選考基準は一般において重視される「演技力」については不問とされ〔名古屋地区在住者の特権? NHK『中学生日記』の生徒役を募集中 ORICON STYLE (オリコン)2008年10月4日〕、「中学生力」を重視した選考が行われていた〔『中学生日記』 生徒は素人で累計5千人、森本レオも登場した NEWSポストセブン〕。放送期間が長期に渡ったこともあり、番組後期のオーディションには世代を超えた受験者も多くみられ、世代を超えて共通の体験を持てる貴重な番組ともなっていた〔「中途半端」「達成感を得たい」ドラマオーディションに挑む中学生の気持ち Web De-View (De☆View オリコン)2008年12月23日 - 2009年5月9日時点でのアーカイブ〕。2008年度から番組終了までは番組サイト上で、生徒座席表と評してその週に放送される回に出演する日記生の簡単なプロフィールを、生徒手帳を模した様式で紹介していた〔ただし、再放送時においては初回放送も同じ年度であった場合のみ。〕。 もう一つ、他の一般的な学園ドラマとは大きく異なる特徴として、ドラマの制作にあたっては、その時代に合わせて移り変わる、実際に教育現場で起きている問題および中学生の日常を忠実に反映させるために、予め日記生全員にアンケート並びに個別取材を実施し〔番組コンセプト (中学生日記 番組公式サイト) - 2001年04月17日時点でのアーカイブ〕〔中学生日記:放送50年を前に、月替わり先生--NHK教育 (毎日.jp)2010年7月8日 - 同年7月22日時点でのアーカイブ〕〔中学生にドラマ出演のチャンス! 48年続くNHK『中学生日記』が生徒役オーディション開催 ORICON STYLE (オリコン)2009年10月25日〕、場合によっては現場の教職員や大学教授にも取材し〔その中でも、教師役として1972年度から2000年度までの29年間に亘り出演した藤田康雄(故人)は、実際に名古屋市内の中学校の国語科教員でもあり、名古屋市教育委員会に兼業届を提出したうえで出演し、番組に実際の教育現場についてのアドバイスを送っていた(中学生日記(2) ドラマ アカイさんノートNHK (NHKアーカイブス公式サイト内)より)。〕、それをもとにストーリーが作成されるという、番組担当者が「ちょっと変わったドラマ」と評するほど〔48年目を迎える学園ドラマ『中学生日記』が、中学生出演者の全国オーディション開始 ORICON STYLE (オリコン)2009年5月2日〕、世界でも類を見ない制作体制がとられていたことであり、視聴者である中学生に共感されるようなリアリティを、芸能人ではない素人の演技により追及していく、いわば限りなくドキュメンタリー番組に近い教育ドラマであったことである。これにより、視聴者である中学生の共感を得続け、マンネリに陥ることなく、50年にも及ぶ長命を保つことができたといえる。50年間の日記生の総数は約5000人、作成されたドラマの総数は1500本を超える〔リアルな中学生に50年寄り添ってきたあの超長寿番組『中学生日記』がついにフィナーレ - Excite Bit コネタ(1-2)〕〔。しかし、最終的には視聴者である中学生の嗜好が変化したことなどにより、番組は終焉を迎えることとなる(後述)。 2005年に放送された「中学生日記 アーカイブス」で、1970年代以前に放送された素材テープ(2インチVTRと思われる)をNHKが保有していないことが明らかとされた。すると、同時期の少年ドラマシリーズ等と同様に、当時の熱狂的なファンがベータ規格の家庭用VTRに録り溜めたものが提供され、それを受けて幾つかの作品が再放送された。番組公開ライブラリーでも配信タイトルに含まれている。その中から2007年に「僕は、ここにいる。〜父と子の闘争日記〜」が制作されるキッカケとなった。なお、「中学生日記 アーカイブス」のタイトルはNHKが保有する過去のエピソード(主に2002年度以前作品)の再放送時にも使われていた。 1996年に広島大学から「ペスタロッチー教育賞」が贈られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中学生日記」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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