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中尾受太郎 : ミニ英和和英辞書
中尾受太郎[なかお じゅたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 

中尾受太郎 : ウィキペディア日本語版
中尾受太郎[なかお じゅたろう]

中尾 受太郎(なかお じゅたろう、1970年〈昭和45年〉11月13日 - )は、日本男性総合格闘家神奈川県横須賀市出身。横須賀市立久里浜小学校横須賀市立久里浜中学校神奈川県立横須賀大津高等学校二松學舍大学文学部卒業。元DEEPウェルター級王者。
何人もの強豪選手を三角絞めで下し、「キング・オブ・トライアングル」の異名をとる。
黄色のブリーフタイプのタイツがトレードマーク。本人は「オールドスタイルです」と述べている。
ゴールドジム神戸元町および十三大阪で総合格闘技のインストラクターも行っている。
元総合格闘家の中尾享太郎は実弟。画家の中尾ひろ子は実妹。兄弟ピアノデュオ「レ・フレール」は従兄弟。
== 来歴 ==
小中高と野球部在籍、大学で柔道を始め三段取得。大学卒業後のアメリカ留学を経て、総合格闘技を始めた。
1995年12月、全日本アマチュア修斗選手権ミドル級(-76kg)で優勝し、1996年1月20日に奥田康則をTKOしてプロ修斗デビュー。
1996年3月、第2回全日本コンバットレスリング選手権にて準優勝を果たした。
1998年5月13日、修斗ミドル級王座決定戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
1999年2月2日、SuperBrawlUFC世界ライト級(-77kg)王者パット・ミレティッチと対戦し、三角絞めで一本勝ちを収めた。
2002年3月22日、UFC 36ショーン・シャークと対戦し、0-3の判定負け。
2003年2月2日、初参戦となったシュートボクシング渡邉卓也と対戦し、3-0の判定勝ち。
2004年10月4日、DEEPウェルター級(-76kg)トーナメントに出場。準決勝で青木真也をカウンターの左ストレートでKO勝ち、決勝では中村大介にマウントパンチでTKO勝ちを収め初代DEEPウェルター級王座に認定された。
2005年7月17日、PRIDE 武士道 -其の八-マーカス・アウレリオと対戦し、0-3の判定負け。
2007年2月16日、DEEP 28 IMPACTのウェルター級タイトルマッチで長谷川秀彦と対戦し、0-2の判定負けを喫し王座陥落した。
2007年7月8日、DEEP 30 IMPACTで國奥麒樹真と対戦。終了間際にバックマウントポジションを奪うも時間切れとなり、1-1の判定ドローとなった。
2009年2月20日、DEEP 40 IMPACTのライト級王者決定トーナメント1回戦で松本晃市郎と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2009年8月23日、DEEP 43 IMPACTで日本復帰戦となる長南亮と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2011年4月22日、DEEP 53 IMPACTで北岡悟と対戦し、0-3の判定負けを喫した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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