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中尾 彰(なかお しょう、1904年(明治37年)5月21日 - 1994年(平成6年)10月6日)は、昭和初期~平成初期にかけて活躍した日本の洋画家、童画・絵本作家、詩人。島根県鹿足郡津和野町出身。 津和野に生まれ独学で絵を学び、小学校を終えると満州へ渡り、満鉄育成学校を卒業する。 島根県下で教員生活を送る傍ら、時折上京して画学生をする生活を送り、1931年(昭和6年)の第1回独立美術協会展に入選。 以来、独立美術協会を中心に油彩画を発表し、1949年(昭和24年)には同協会会員に、また、1992年(平成4年)には同協会会員功労賞を受賞する。このような画家としての活動の一方で、1935年頃から文芸同人誌「日暦」に参加して詩文を発表。また1941年(昭和16年)から子供のための美術運動を展開し、児童出版物に執筆するとともに教科書や新聞の挿絵などを多数手がけた。 作風は、初期の暗い色調のものから、青や緑などの優しい色彩で形態を単純化したものへ、また草木と人物を組み合わせたパステル調の情緒的なものへと展開していったが、作品の多くは戦中及び戦後の火災によって焼失してしまった。1994年10月、済生会熊本病院新館の壁画を妻・吉浦摩耶と制作中に倒れ、脳腫瘍のため熊本市内の病院にて死去。享年90。 == 年譜 == * 1904年 - 島根県津和野に生まれる。 * 1920年 - 満州に渡り、満鉄育成学校を卒業する。 * 1925年 - 島根県下の小学校、女学校教諭となる。 * 1931年 - 第1回独立美術展出品。以後、独立展出品。 * 1932年 - 結婚。 * 1935年 - 文芸誌「日暦」同人として詩文を発表。詩集、詩画集も刊行する。 * 1937年 - 独立賞受賞。会員に推挙される。 * 1941年 - この頃より子供のための美術を提唱し、数多くの児童出版物を執筆。童心文化美術協会を創立する。 * 1946年 - 日本童画会を創立して新人育成に尽力する。 * 1955年 - 『ひつじさんとおしくら』をはじめとする作品が評価され第4回小学館絵画賞を受賞。 * 1963年 - いわさきちひろ、赤羽末吉、遠藤てるよ、柿本幸造、渡辺三郎、丸木俊らと「ぐるうぷ堊(かべ)」を結成。 * 1965年 - 火災のためこれまで制作した作品の多くを失う。 * 1965~76年 - 度々ヨーロッパに滞在。オーストリア、チロルの山村に取材制作する。 * 1970年 - 妻・文(あや)、病死。 * 1972年 - 里見勝蔵の呼びかけにより写実画壇の創立に参加。 洋画家・吉浦摩耶と再婚する。 * 1979年 - 済生会熊本病院の壁画制作。 * 1982年 - 日本児童文芸家協会より児童文化功労者として表彰される。 * 1990年 - 島根県立美術館に作品多数を収蔵。 * 1992年 - 故郷である島根県津和野町・杜塾美術館に妻・吉浦摩耶の作品と共に作品多数常設展示される。 * 1993年 - 静岡県富士十里木の火災で多くの作品を焼失。 * 1994年 - 済生会熊本病院新館壁画制作中に死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中尾彰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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