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中尾 欣四郎(なかお きんしろう、1932年4月28日 - 2004年12月3日)は、日本の地球物理学者。北海道大学の名誉教授。 == 人物 == 福岡県豊前市出身。 1951年福岡県立築上中部高等学校卒業、1957年北海道大学理学部地球物理学科卒業、1958年より同大学工学部土木工学科助手、1962年より同大学理学部地球物理学科助手、1972年より同大学理学部助教授、1976年より同大学教授、 理学部地球物理学科陸水学講座担任、1996年より同大大学院理学研究科、及び理学部学科目(地球物理学)を担任。 1996年より北海道大学名誉教授。 北海道大学在任中、北海道教育大学教育学部旭川校講師、及び筑波大学地球学科研究科講師を併任。 日本学術会議地球物理学研究連絡委員、陸水研究連絡委員、学術審議会委員、陸水学会評議員、陸水物理研究会運営委員長、アメリカ水文科学協会日本支部会長、水文科学会会長、北海道環境影響評価審議会委員、北海道温泉審議会委員、北海道公害対策審議会委員などを歴任。 2004年12月3日、北海道北広島市の自宅にて死去。享年73。 二児の父。長男中尾融、次男中尾耕二。 1962年から1970年、道北サロベツ原野、道央倶多楽湖等において水文学的調査研究を行う。特に倶多楽湖における水位安定性の研究では、世界で初めて湖岸段丘に示される古水位に対する古気象学的評価を定量的に行い、陸水環境変動の実相を明らかにした。また、森林流域における流出特性を定量的に明らかにすることにより、基岩表面地下水流という新たな地下水流の存在を解明した。これらの研究成果は、その後の陸水学研究に大きな影響を与えるとともに、多数の文献にも引用されることとなる。 1971年、南極ビクトリアランドドライバレーにて、4ヶ月に及ぶ学術調査を行い、電気探査によって塩湖の拡大縮小の歴史を解明した。また、閉塞湖、開放湖の過去における水位変動を再現し、古降水量の定量的評価に関する研究を確立した。 1976年以降、教授として陸水学講座を担任するとともに、海外学術調査(科学研究費助成事業)の代表者として、アメリカ合衆国アラスカ州のハーディング湖及びセントローレンス島、中華人民共和国(中国)青海省の青海湖、ザイール(現コンゴ民主共和国)、ブルンジ共和国両国に跨るタンガニーカ湖、及びザイール、ルワンダ共和国両国に跨るキブ湖等において調査隊を指揮した。 極めて厳しい自然環境の下、不撓不屈の精神で長年にわたって続けられた国際的調査研究は、氷期における中国高原やチベット・ヒマラヤ高山域での雪氷圏拡大が、アジアモンスーンの収束を弱め、降水量を低下せしめ、熱帯収束帯を北上させ、その結果として北アフリカでの降水量増大をもたらしたことを明らかにするなど、地球規模の氷期及び間氷期における気候変動と陸水環境変動の相関メカニズムの解明に大きく貢献した。また、タンガニーカ湖及びキブ湖での調査等においては、深湖の深水層の擾乱(じょうらん)機構を湖沼物理学的に明らかにし、1986年に1700人余りの死者を出したカメルーンのニオス湖における二酸化炭素ガス噴出災害(湖水爆発)の発生メカニズムを解明するなどの成果も残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中尾欣四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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