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中山正嘉 : ミニ英和和英辞書
中山正嘉[なかやま まさよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

中山正嘉 : ウィキペディア日本語版
中山正嘉[なかやま まさよし]

中山 正嘉(なかやま まさよし、1917年7月3日 - 1994年7月4日)は、愛媛県出身のプロ野球選手投手)。
== 来歴・人物 ==
松山商業出身、1935年第21回全国中等学校優勝野球大会において優勝投手となった。同校のチームメイトには千葉茂筒井修などがいた。
1937年、日本プロ野球の名古屋金鯱軍に入団。4月5日、対大東京軍戦で初登板。3安打11奪三振1四死球無失点の内容で、日本プロ野球史上2人目のプロ入り初登板で完封勝利を挙げる、スコアは7対0〔講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」853ページ〕。1940年5月12日イーグルス戦で当時の日本プロ野球記録の1試合13与四球を記録している〔講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」634ページ〕。シーズンを通してはプロ野球記録の『1シーズン最多敗戦投手』(29敗)〔但し、非公式記録ではあるが、畑福俊英イーグルス)は1937年に32敗(春季21敗〈このシーズンの最多敗戦投手〉、秋季11敗)している。〕となる。ちなみにチームの敗戦数63の約半分が彼が責任投手となっている。この年の中山は104試合中61試合に登板し(このシーズンの全球団で最多登板)、18勝している。1941年に引退したが、軍に召集されていたのかどうかは不明。
終戦後は球界を離れていたが、1950年に新規参入した広島カープに入団、32歳で球界復帰。しかしわずか2勝に終わり、翌シーズン中に引退した。入団時には石本秀一監督の命を受け、現役を退いて指導者となっていた樋笠一夫をカープに誘い、入団にこぎつけている。
1994年7月4日に亡くなった。享年77。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中山正嘉」の詳細全文を読む




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