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中山 福蔵(なかやま ふくぞう、明治20年(1887年)6月7日〔衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、5頁。〕 - 昭和53年(1978年)10月13日)は、日本の弁護士、政治家。戦前に衆議院議員を、戦後に参議院議員を務めた。 == 来歴・人物 == 熊本県出身〔『政治家人名事典』387頁〕。中山勝平の二男〔『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ナ一七三〕。父が早く亡くなったので母に連れられて、鹿児島・志布志に移った〔中山家の歩み 〕。 大阪の旧制富田林中学に遊学し、家庭教師をしながら苦労した〔。勉学だけは人一倍できたので、大学進学までを全て特待生〔。旧制第七高等学校から東京帝国大学法学部を卒業〔。福蔵は、独立心が非常に強くて、東大在学中に休学をしてジャワ、インドネシア、ボルネオの方で、ゴム園を経営していた伯父を助けたこともあった〔。 1932年に衆議院議員に初当選し、以降3選〔。参議院には、第1期の補欠選挙と第3期に当選している〔。 民政党総務、自由党大阪支部長、参院法務・建設各委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長等を歴任〔。保守合同後は自由民主党に属した。 その他に、初代 在大阪トルコ共和国名誉総領事、全日本薬業(連)会頭、(財)日本警察犬協会副会長、(社)日タイ協会・日本国連協力会各理事等を務めた〔。 1978年10月16日死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山福蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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