|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point
中山 麗敏(なかやま りーみん、1982年4月12日 - )は、元女子競輪選手。大阪市出身。日本競輪学校第102期卒業。現役時は日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は遠澤健二(57期)。 現役時の選手登録名は旧姓で、本名は島野 麗敏(しまの りーみん)〔 - JKA・2015年5月31日〕。中国名は王 麗敏(ワン・リーミン)。 == 戦績 == 実家は御堂筋近くで中華料理店を営む〔中山麗敏(りーみん)さん - タウンニュース平塚版2012年6月28日号〕。当初は中国国籍を取得していたが、2001年に日本へ帰化した〔女子43cmふくらはぎ中山麗敏に注目 - 日刊スポーツ2011年5月11日付〕。 大阪府立市岡高等学校〔NIC International College in Japan 〕時代は砲丸投と円盤投に取り組み、高校総体への出場経験を持つ。同校卒業後、MBA取得を目指し、サンディエゴ州立大学〔ガールズケイリンプロフィールより 〕へ進んだ。同大学時代に、ボクシング選手として活動。2戦2勝を挙げたものの、体調不良などを理由にドクターストップがかかり、以後の活動は断念せざるを得なくなった。そして、このことが起因して大学も中退し、帰国。 帰国後、自ら中華料理店の店長として切り盛りしていたが、27歳の時、知人男性の勧めでロードバイクに乗り始めたことを契機に、自転車ロードレース大会に参加したところ優勝。これがきっかけとなり、ガールズケイリンの第1回生徒試験に応募〔。同校一次試験前に、車のドアに左手中指をはさんで粉砕骨折したため適性試験に回ったが、2011年2月25日に同校に合格した〔日本競輪学校女子第1回生徒入学試験合格者名簿 - KEIRIN.JP〕。 競輪学校時代の在校競走成績は第12位(9勝)〔 - KEIRIN.JP〕。同校卒業後の2012年5月1日に競輪選手登録された。 2012年7月1日、ホームバンクの平塚競輪場でデビュー戦を迎えると同時に、ガールズケイリンのオープニングレースに出場したが、バックストレッチから豪快な捲りを決め、2着に6車身の差をつけて圧勝した〔レース競走結果 - KEIRIN.JP〕。初優勝は8月31日、平塚競輪場で挙げた〔2012/08/31(最終日)第9レースA級ガールズ決勝 - KEIRIN.JP〕。同年10月23日、同年12月28日に開催予定のガールズグランプリ出場選手に選出された〔『ガールズグランプリ2012【FII】』出場予定選手の決定について - KEIRIN.JP 10月23日付〕。 2015年4月に結婚したことを公表〔【競輪】中山麗敏が結婚、5日入籍予定 - デイリースポーツ・2015年4月4日〕したが、登録名は引き続き旧姓を使用した〔。 2015年11月10日の佐世保競輪場第1R・A級ガールズ一般戦での2着を最後に競走へ参加しなくなったが、この頃からボクシングの練習を再開しており、2016年2月に競輪選手から引退しボクシングに専念すると報道された〔ガールズケイリン・中山麗敏がボクサー転向へ!東京五輪目指す (スポーツ報知、2016年2月17日)〕。同年2月19日に競輪選手としての選手登録が消除され引退。通算成績199戦49勝。 2016年2月20日、平塚で行われたボクシングデビュー戦を判定で勝利。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山麗敏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|