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中島力造 : ミニ英和和英辞書
中島力造[なかじま りきぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中島 : [なかしま, なかじま]
 【名詞】 1. island in a pond or river 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 

中島力造 : ウィキペディア日本語版
中島力造[なかじま りきぞう]

中島 力造(なかじま りきぞう、安政5年1月8日1858年2月21日) - 大正7年(1918年12月21日)は倫理学者。同志社英学校最初の学生のひとりで開校当初元良勇次郎上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけた。
== 経歴 ==
丹波国福知山(現京都府福知山市)出身。明治11年(1878年)、新島襄津田仙の要請を受け学農社の教師として中島を東京に送り出し、それに伴い退学。
明治13年(1880年)、渡米。ウエスタン・レゾルス・アカデミーに入学し卒業後、イェール大学に進学しPh.Dを取得。イェール大学講師を勤めその後、イギリスドイツに留学。
明治23年(1890年)に帰国し、第一高等学校講師を経て帝国大学文科大学教授に就任。倫理学の講座を担当した。
日本に初めてT・H・グリーンの思想を導入。その普及に努め、功利主義から理想主義への倫理学の拡充を図り、倫理学の学としての独立性を確立した。personalityやpersonの訳語として「人格」を定着させたのも彼の功績である(もともと「人格」という語はカント哲学に基づく倫理学的用法によるものだった)。
1918年、心不全と肺炎のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)20頁〕。
妻は俳人の大野洒竹の次姉。中島の次女は実業家の川上嘉市夫人、三女は物理学者の竹内時男夫人となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島力造」の詳細全文を読む




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