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中島式五型練習機(なかじましきごがたれんしゅうき)は、大日本帝国陸軍が使用した練習機。初めて軍に制式採用・量産された国産航空機である。 == 経緯 == 陸軍に納入されることなく終わった中島式一型複葉機の失敗を受け、中島飛行機は民間向けの中島式三型複葉機の経験をフィードバックした新型陸軍向け練習機として、佐久間一郎技師を設計主務者として中島式四型複葉機の開発を進め、1919年(大正8年)2月に試作機1機を完成させた。同年5月に行われた陸軍による審査で好成績を納めた中島式四型に対し、陸軍航空部は中島式四型の改良生産型の採用試験を行うことを中島に通達した。これを受けて中島では中島知久平所長以下佐久間二郎、関口英二技師らが中島式五型の設計を開始し、中島式四型をベースにやといった海外機の設計を参考としつつ設計作業を進めた。 陸軍向けの試作一号機は1920年(大正9年)4月末に所沢飛行場で試験飛行を行い、好成績を示した。これを受けて陸軍は中島に対して100機の中島式五型を発注。1921年(大正10年)5月までに民間機17機と台湾総督府に輸出された1機を含めた118機が生産された。陸軍は各航空隊と陸軍飛行学校に中島式五型を配備し、練習機のほかに偵察機としても運用した。しかし、運用中に翼型の設計誤差から生じた失速特性の悪さが表面化し、さらに1920年10月14日に排油穴の未設置を原因とする空中火災によって乗員2名が殉職する事故が発生したため、陸軍は中島式五型の使用を取りやめ、以降は外国製の機体の配備を進めていった。 その後、陸軍の中島式五型は中島での改修を経て民間に払い下げられ、複数の民間飛行学校で使用されただけでなく、航続性能が評価され多くの郵便飛行競技会で活躍した。また、朝日新聞社東西定期航空会も6機の中島式五型を運用している。しかし事故発生率も高く、1920年から1927年(昭和2年)までの間に民間の中島式五型5機が墜落し、7名の乗員が死亡している。民間の中島式五型は大正末まで第一線で使用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島式五型練習機」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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