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中島徳蔵 : ミニ英和和英辞書
中島徳蔵[なかじま とくぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中島 : [なかしま, なかじま]
 【名詞】 1. island in a pond or river 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

中島徳蔵 : ウィキペディア日本語版
中島徳蔵[なかじま とくぞう]
中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日1864年3月9日) - 昭和15年(1940年5月31日)は、日本の教育者。
==経歴==
群馬県出身。東京帝国大学哲学科卒業後、哲学館にて西洋倫理学と倫理学を担当。哲学館講師時代の明治33年(1900年)、文部省からの再三の要請を受け、修身教科書起草委員に就任するも、就任してからおよそ半年で解職させられる。委員会では、修身の教科書を『教育勅語』をもととして作成しようとしていたのに対し、委員に就任した徳蔵の私案が、児童に対しては智仁勇の三徳の涵養を中心としたほうが『教育勅語』よりも理解しやすい、というものであったため、これが勅語撤回論と見なされたからであった。
明治35年(1902年)、徳蔵担当の倫理学の試験に関して哲学館事件が起る。同年哲学館を辞職。翌年、読売新聞に「余が哲学館事件を世に問う理由」を投稿し、哲学館事件を世に知らしめる。読売新聞には、1月28日から30日にかけてその全文が掲載され、以後社会問題化し物議を醸す。なお、1月29日付けの読売新聞には、文部省による反論「当事者たる隈本視学官の談」が掲載されている。この隈本視学官とは隈本有尚のことである。ちなみにこの隈本と、文部省の「教科書疑獄事件」に関与していたとされる隈本繁吉視学官、それと普通学務局第一課長・本間則忠らの隣監のもと、事の発端となる試験が行われている。
同年2月、哲学館学生と卒業生により、徳蔵に対する見舞金の募集が始まり、3月に徳蔵に渡される。当初徳蔵はこれを拒否するも、説得され受け入れる。この見舞金は、哲学館へ図書を寄贈することに用いられ、寄贈本は現在の東洋大学附属図書館に現存している。明治36年(1903年)に2度目の洋行から帰国した哲学館創立者・井上円了によって明治38年(1905年)に再び講師に復職する。
大正15年(1926年)2月から昭和3年(1928年)3月まで東洋大学第6代学長、昭和4年(1929年)9月から昭和6年(1931年)7月まで東洋大学第7代学長務めた。
東京工業学校正則中学校跡見女学校共立女子職業学校にて教鞭をとる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島徳蔵」の詳細全文を読む




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