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中島 泰蔵(なかしま たいぞう、慶応3年10月5日(1867年10月31日) - 大正8年(1919年)9月27日)は若狭国(福井県)出身の実験心理学者。中島力造や中島徳蔵と共に中島の三ゾウと呼ばれた。 == 経歴・人物 == 若狭国三方郡西郷村(福井県三方郡美浜町)に網元の次男として生まれる。幼名松太郎。 、大阪の泰西学館で米国人宣教師に英語を学び受洗。1887年、泰蔵と改名。1890年、泰西学館高等科を卒業。 元良勇次郎著『心理学』を読んで感動し、元良と文通したことから、1891年春に上京、元良主宰の心理学談話会に参加。生家の没落により困窮していたが、1891年6月、宣教師の世話で渡米し、コロラド大学に留学。Bachelor Of Philosophyとなる。 1893年、ハーヴァード大学に進み、ウィリアム・ジェイムズやミュンスターバーグに師事。しかし学費が続かなかったため、学位を取れぬまま1894年に帰国。早稲田大学や慶應義塾大学で文科講師を務める。1897年に『心理学講義』を上梓。同年、兵庫県の士族の娘で東京女子師範学校(お茶の水女子大学)を卒業した教師の龍敏(りょう・さと)と結婚。1898年、ヴィルヘルム・ヴントの著書『心理学概論』を元良と共訳し、冨山房から刊行。元良の世話で東大嘱託(東京帝国大学文科大学心理学事項取調補助)となる。 宮部金吾の世話で札幌農学校に赴任、英語と倫理学を担当。しかし情熱のない教師とされて学生たちから排斥を受けたため、1906年に辞職して、妻の学習院女子部教授就任に伴い一家で上京。敏からの支援で再び単身渡米し、ハーヴァード大学大学院修士課程で3年間ミュンスターバーグに師事。Master Of Artsの学位を取得し、米国科学会正会員となる。 コーネル大学大学院博士課程でエドワード・ティチェナーに師事、Doctor Of Philosophyを取得して帰国。しかし晩学だった上、東京帝国大学を頂点とする日本の学閥構造の中で孤立し、帰国後は師の元良の死去により後ろ盾を失ったため、学界では不遇だった。結核で死去。 一人息子の中島健蔵は仏文学者、評論家。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島泰蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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