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中島 永元(なかじま ながもと〔日本現今人名辞典発行所。衆議院・参議院。〕 / えいげん〔大日本人名辞書刊行会。森谷。〕、1844年8月29日(天保15年7月16日) - 1922年(大正11年)11月10日)は明治時代の日本の文部官僚。旧佐賀藩士。明治初年までの名は秀五郎〔『第三高等中学校一覧 起明治十九年九月止明治二十年八月』 第三高等中学校、1887年11月、2頁 。〕。 辻新次とともに一貫して明治前期の中央教育行政にたずさわり、明治中期以降は大学分校、第三高等中学校(いずれも京都大学の前身の一つ)の校長、元老院議官、貴族院議員を歴任した。 == 来歴 == 天保15年7月16日(1844年8月29日)、佐賀鬼丸小路に生まれる〔肥前史談会。〕。父は佐賀藩士中島永遠。藩校弘道館、次いで蘭学寮に学んだのち、慶応元年(1865年)に副島種臣、大隈重信らと長崎に遊学。幕府直轄洋学校済美館で蘭学を研究するかたわら、宣教師グイド・フルベッキから英語を学んだ〔日本力行会。〕。慶応3年(1867年)には佐賀藩が長崎に新設した蕃学稽古所(のちの致遠館)の教官に抜擢されたが〔岩松要輔 「英学校・致遠館」(杉本勲編 『近代西洋文明との出会い : 黎明期の西南雄藩』 思文閣出版、1989年10月、ISBN 4784205667)119頁。〕、戊辰戦争が起こると職を棄てて江戸に向かい、国事に奔走した〔。 明治2年(1869年)7月、官制改革により新政府のもとに大学校(同年12月に大学と改称)が置かれると、翌8月に大学中助教兼中寮長を命じられ、ほどなく大寮長を兼任。翌年6月には大学出仕(のち大学権少丞)となり、大阪洋学所(同年10月に大阪開成所と改称)の事務取扱を命じられた。明治4年(1871年)7月、文部省新設にともない文部権少丞に更任され、大阪から帰京。翌8月に文部省七等出仕となり、南校の事務を担当した〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書」。倉沢剛著 『学制の研究』 講談社、1973年3月、58頁、45-46頁、269-271頁。前掲第三高等中学校、2頁。〕。同年10月、岩倉使節団理事官として欧米に派遣される文部大丞田中不二麿の随行を命じられ、翌11月に横浜を出港〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書」。小林哲也 「『理事功程』研究ノート」(『京都大学教育学部紀要』第20号、1974年3月、)85頁。〕。米国滞在ののち英国の教育調査を担当し〔前掲倉沢、372-375頁。森川輝紀 「田中不二麿の教育思想に関する一考察 : 欧米視察と「学制」改革への指標」(『教育学研究集録』第10集、東京教育大学大学院教育学研究科、1981年3月、)23-24頁。後藤純郎 「学監モルレー雇用の経緯(I) 」(『教育学雑誌』第19号、日本大学教育学会、1985年3月、)26-27頁。前掲小林、84頁。〕、明治6年(1873年)3月に帰国した〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書」。〕。 帰国後は同年中に文部省五等出仕まで進み、文部権大丞、文部権大書記官を経て明治14年(1881年)6月に文部大書記官に就任。明治18年(1885年)12月まで本省に勤務した。省内では明治6年11月から学務課長、報告課長、報告課副長、報告局長を、明治13年(1880年)12月から内記所長、内記局長、会計局長を歴任し、明治18年2月に再び報告局長となった〔。 明治18年12月、大阪に新設されて間もない大学分校の校長に転じ、翌年4月には大学分校の改組により第三高等中学校長となった〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書」。前掲第三高等中学校、8-9頁 。〕。その後、明治20年(1887年)4月に文部書記官として本省に戻り、文部省参事官を経て明治21年(1888年)6月に元老院議官に就任〔。明治23年(1890年)10月の元老院廃止と同時に錦鶏間祗候となり、翌明治24年(1891年)12月からは貴族院議員を務めた〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書」。『官報』第2546号、1891年12月23日、10頁 。〕。大正11年(1922年)11月10日、東京下渋谷の自邸で死去。享年79〔。 関係資料として写真史料約600点と辞令・書簡・手帳・日誌などの文書史料約500点が現存しており、平成26年(2014年)12月に長崎歴史文化博物館がこれらを買い取っている〔「中島永元 : 資料1100点、長崎の博物館が購入 岩倉使節団“同窓会”写真も」(『毎日新聞』 2015年2月1日、地方版・佐賀)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島永元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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