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中島遊園地競馬場(なかじまゆうえんちけいばじょう)は札幌・中島遊園地(現代の中島公園)内に1887年(明治20年)から1906年(明治39年)まで存在した競馬場。一周は約950メートル、末期には1000メートルに拡大され、主催は札幌共同競馬会社から北海道乗馬会。1907年(明治40年)、北海道乗馬会は組織を拡大して北海道競馬会と改めるのに際し競馬場も子取川農園に移し(現在の札幌競馬場である)、中島遊園地競馬場は廃された。 ==中島遊園地競馬場の開場== 札幌市街の南にあった中島の地を、黒田清隆は桑畑にするように東京から指示をだしたが、札幌の官吏は風光明媚な中島の地を桑畑にすることを拒んだという〔山崎1988、53頁〕。判官岩村通俊は札幌の北に偕楽園、南に中島、西に円山、東に苗穂の各公園を配置する計画を持っていたといわれ〔中島公園の歴史を振り返る 〕、札幌区長山崎は1883年(明治16年)中島に公園を設けることを要望し札幌県はこれを許可し1886年(明治19年)中島遊園地は設置された〔〔。中島公園は当時は中島遊園地と呼ばれていた。 札幌市街の北側には偕楽園が設けられ偕楽園内には物産開場、育種場、札幌育種場競馬場が設けられていたが〔木村1891、58頁〕、偕楽園で開かれていた農業博がだんだん大規模になるにつれ手狭になりこれらの施設をより広い場所に移すことになった〔山崎1988、54頁〕。 1886年(明治19年)札幌県、函館県、根室県の3県が廃止され北海道が置かれたが、それに伴ってそれまで競馬が行われていた札幌育種場競馬場は廃止され、競馬場は中島遊園地に移転される〔神翁1963、706頁〕。 北海道庁長官岩村通俊や札幌区長浅羽靖らが推進し、お雇い外国人である獣医師エドウィン・ダンが競馬場を設計した中島遊園地競馬場は1887年(明治20年)に完成する。一周は525間(約950メートル)、コース幅は8間(約14.5メートル)の競馬場で〔、馬場の一部は鴨々川にかかるため橋を架けた〔札幌市教育委員会1998、258-259頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島遊園地競馬場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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