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中島 重房(なかじま しげふさ、生没年不詳)は、戦国時代の武将、長宗我部氏の家臣。 中島氏は長宗我部氏の傍流といわれる。祖父・中島親吉は、国親・元親の宿老として活躍した。中島重勝は父とされる。父の重勝も元親の近侍衆として活躍。 == 生涯 == 天正11年(1583年)、父重勝が引田の戦いで戦死すると家督を相続する。戸次川の戦い敗戦後、16歳の若さで戦功をあげ、帰国後の総検地では、能書の腕をかわれて検地奉行に抜擢された。 文禄の役では、普州城の戦いで活躍し、帰国後窪川城代となった。関ヶ原の戦いに参陣するも敗戦し改易。改易後は藤堂家に仕官するも、大阪の陣に参じた旧主、長宗我部盛親をしたって大坂城へ入城する。 八尾の戦いで奮戦し、敗戦後浪人の身になる。その後、長州にあるとき山内忠義に三百石で使える。無嗣断絶となるが、弟中島孫右衛門の系統が土佐郷士・山内家臣としてのこった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島重房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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