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中川 友次郎(なかがわ ともじろう、1873年(明治6年)4月〔『人事興信録』第14版 下、ナ28頁。〕 - 1945年(昭和20年)4月15日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1945年4月21日朝刊、2面の訃報より。〕)は、日本の内務・農商務官僚。群馬県知事(官選第20代)、台湾総督府財務局長、特許局長官。旧姓・井関。 ==経歴== 現在の石川県金沢市出身〔『群馬県人名大事典』374頁。〕。井関好直の弟として生まれ、中川長吉の養子となる〔『新編日本の歴代知事』292頁。〕。第四高等学校を卒業。1897年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し県治局属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』177頁。〕。 以後、内務省書記官、同参事官、高知県書記官、農商務省参事官、同山林局長、法制局参事官などを歴任〔。1910年9月、台湾総督府財務局長に就任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』129頁。〕。 1917年9月、群馬県知事に転任〔。米騒動を契機に県内の米自給を実現するため、1918年の通常県会に大正用水の工事計画を提案し決定された〔。1919年6月、製鉄所次長に転任〔『官報』第2071号、大正8年6月30日。〕。1922年7月、農商務省特許局長官に転じ〔『官報』第2975号、大正11年7月3日。〕、1923年7月25日に依願免本官となり退官した〔『官報』第3297号、大正12年7月26日。〕。 その後、前田侯爵家総務、汽車製造会社監査役などを務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中川友次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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