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中川 正春(なかがわ まさはる、1950年6月10日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(7期)、民進党代議士会長。 文部科学大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(防災・「新しい公共」・男女共同参画・少子化対策)、公務員制度改革担当大臣、文部科学副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅内閣)、民主党幹事長代行(第3・4・5代)等を務めた。 == 来歴 == 三重県松阪市生まれ。三重県立津高等学校、ジョージタウン大学国際関係学科卒業〔「経歴」『プロフィール - 中川正春 』。〕。大学卒業後、国際交流基金に勤務。1983年、三重県議会議員選挙に松阪市・飯南郡選挙区から自由民主党公認で出馬し、初当選。以後3期連続当選。1993年に自民党を離党し、結党後間もない日本新党に入党した。翌1994年の日本新党解党に伴い、新進党結党に参加。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で三重2区から出馬し、旧民主党公認の伊藤忠治を破り、当選した〔。以後、三重2区で6期連続当選。新進党解党に伴い、国民の声、民政党を経て民主党に合流する。2003年、民主党拉致問題対策本部事務総長に就任。2004年5月より民主党税制調査会長。 2009年の第45回衆議院議員総選挙で、自民党新人の鈴木英敬を破り、5選(鈴木は2011年、三重県知事選挙に出馬し当選)。同年、鳩山由紀夫内閣で文部科学副大臣に任命され、菅内閣まで務める。2010年9月の民主党代表選挙では、現職の菅直人の推薦人に名を連ねる。代表選後、再選された菅の下で民主党外交・安全保障調査会長に就任。 2011年9月、野田内閣に文部科学大臣として初入閣。文部科学大臣在任中の同年9月9日、閣議後の記者会見で八重山教科書問題に文部科学省は介入しない方針を発表し、沖縄県教育委員会が問題を収拾するよう促す発言を行った。また同年9月13日の閣議後の記者会見で、福島市で子供の尿から検出される放射性セシウム濃度が微増したとの市民団体の調査結果について「検出値は1ベクレル以下と小さく、問題になるレベルではない」と述べ、健康に影響はないとの見解を明らかにした。翌2012年1月の野田第1次改造内閣発足に伴い、文部科学大臣を退任。 2012年2月、復興庁発足に伴う閣僚人事により、内閣府特命担当大臣(防災・「新しい公共」・男女共同参画・少子化対策)及び公務員制度改革担当大臣に任命された。2012年4月23日、内閣府特命担当大臣(少子化対策)のみ退任(中川に代わり厚生労働大臣の小宮山洋子が兼務)〔「人事異動」『官報』5788号、国立印刷局、2012年4月25日、8面。〕。同年10月、野田第3次改造内閣発足に伴い、内閣府特命担当大臣を退任。 同年12月の第46回衆議院議員総選挙では民主党に逆風が吹き荒れる中、三重2区で自民党新人の島田佳和を破り、6選(島田も比例復活)。2012年、民主党幹事長代行に起用され、2014年9月に同職が廃止されるまで務めた。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、三重2区で島田を再び破り7選(島田も比例復活)。 2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元代表・岡田克也の推薦人に名を連ねた〔民主代表選候補の推薦人名簿 時事ドットコム 2015年1月7日 2015年1月8日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中川正春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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