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中川淳庵 : ミニ英和和英辞書
中川淳庵[なかがわ じゅんあん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [いおり]
 【名詞】 1. hermitage 2. retreat 

中川淳庵 : ウィキペディア日本語版
中川淳庵[なかがわ じゅんあん]
中川 淳庵(なかがわ じゅんあん/じゅんなん、元文4年(1739年) - 天明6年6月7日1786年7月2日)は江戸時代中期の医者・本草学者・蘭学者。はじめ純安と名乗る。名は鱗(りん)もしくは玄鱗。字は攀卿。若狭国小浜藩の蘭方医であり、杉田玄白の後輩にあたる。前野良沢・杉田玄白とともに『解体新書』を翻訳した。向学心と積極性に富み、多くの学者と交わり、蘭学の発展に貢献する。
== 生涯 ==
祖父の代から小浜藩の蘭方医を務めた家系という。江戸麹町に住んでいた。山形藩医の安富寄碩にオランダ語を学び、本草学を田村藍水に学ぶ。1764年(明和元年)平賀源内と共に火浣布を造った。オランダ物産についても興味を持ち、カピタンオランダ商館長)が逗留した長崎屋にしばしば訪問する。
1771年(明和7年)杉田玄白らと共に『解体新書』翻訳に参加し、訳述に当たる。その後もオランダ語の学習を続け、1776年安永5年)、ツンベリーとは植物学などや会話も行い、学んだという。1778年(安永7年)若狭藩の御典医となって、1786年(天明6年)、膈症〔かくしょう。胃癌食道癌と思われる。〕により死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中川淳庵」の詳細全文を読む




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