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中御門 宣俊(なかみかど のぶとし)は南北朝時代から室町時代にかけての公卿。権中納言・中御門宣方の子。 == 経歴 == 応安4年/建徳2年(1371年)に権中納言・中御門宣方の嫡子として誕生。永和3年/天授3年(1377年)に正五位下・兵部権大輔に叙任され、まもなくして右兵衛佐に転ずる。 嘉慶2年/元中5年12月(1388年1月)に右少弁に任ぜられ、五位蔵人に補任される。明徳元年/元中7年12月(1391年1月)には左少弁に進み、応永元年12月(1395年1月)に右中弁と、弁官を務めつつ官位を進める。応永2年(1395年)右宮城使を兼ね、左中弁に昇任。応永3年(1396年)に従四位下・左宮城使に叙任された。 また、この間の明徳3年(1392年)閏10月5日、三種の神器が南山から京都にうつされ、南北朝が合体した折に催された神楽の奉行を、時の将軍・足利義満より命ぜられている。 応永4年(1397年)右大弁、応永8年(1401年)左大弁に昇進。この間、応永5年(1398年)には関白・二条師嗣の執事に任命される。応永9年(1402年)に蔵人頭に補任され、応永11年12月(1405年1月)参議となり公卿に列す。応永12年(1406年)には従三位・播磨権守に叙任。応永17年(1410年)に正三位に叙せられ、応永18年(1411年)伊予権守を兼任。応永20年(1413年)従二位に至った。 応永21年(1414年)9月6日、権中納言に任ぜられるが、同年9月13日に44歳で薨去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中御門宣俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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