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中御門 資胤(なかのみかど すけたね)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて活動した公卿。中御門家の13代当主。 == 略歴 == 永禄12年(1569年)、庭田重保(大納言)と広橋兼秀の娘の間に生まれる〔公卿類別譜(公家の歴史)-名家〔中御門・長谷〕 、2015年10月10日閲覧。〕。中御門宣教(右中弁)の養子となって名を宣光とした(のちに宣泰、次いで資胤と改名)〔『戦国人名事典 コンパクト版』、574ページ〕。 様々な役職(「官歴」の項を参照のこと)を歴任したのち、元和3年(1617年)、最終的に正二位となる〔。この頃には後陽成天皇の譲位宣命使や春日祭上卿を務めた〔。 寛永3年(1626年)正月に58歳で死去した〔〔中御門資胤(なかみかど すけたね)とは - コトバンク 、2015年10月10日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中御門資胤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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