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中日スポーツ : ミニ英和和英辞書
中日スポーツ[ちゅうにちすぽーつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中日 : [なかび]
 (n) the middle day
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

中日スポーツ : ウィキペディア日本語版
中日スポーツ[ちゅうにちすぽーつ]

中日スポーツ(ちゅうにちスポーツ)は、中日新聞社発行の日本の東海・北陸地方を主な販売地域とする日刊スポーツ新聞である。1954年(昭和29年)2月25日創刊。略称中スポ(ちゅうスポ)〔東京スポーツ新聞社が東海地区で発行する「中京スポーツ」は略称は「中スポ」ではなく「中京スポ」である。〕。発行部数は45万853部(2013年7-12月、ABCレポート)。
== 概略 ==

=== 歴史 ===

* 当時、中部日本新聞(現:中日新聞)では、プロ野球関係の記事については「中日ウィークリー」〔1948年(昭和23年)9月3日・発刊〕で掲載していたが、プロ野球がによる2リーグ制に移行したのを機に、1950年(昭和25年)3月17日に週刊紙(タブロイド紙。8ページ。10円)として独立した。1面を写真で見せたほか、プロ野球の戦評・サイドニュース、競輪競馬記事なども独立させ、その当時中部地区へ進出を狙っていた東西の各スポーツ紙の出ばなをくじく事になった。
:1953年(昭和28年)から日刊紙へ移行する計画が練られていたが、広告スポンサーが集まらず、最後まで日刊紙計画を阻んでいた。しかし当時の三晃社社長の松波金弥が広告を全て買い切ったことが、日刊紙への足がかりとなった〔中日新聞三十年史・発行当時の鈴木副社長(日刊紙計画当時は編集局長)談より。〕。
* 1954年(昭和29年)2月1日、当時の旧社屋にあった編集局の西側に「中日スポーツ編集部」が12人体制で発足、全国の日刊スポーツ紙では6番目の「中日スポーツ」が誕生した。ページ数も4ページ(中日スポーツとしての創刊年月日より)→6ページ〔1958年(昭和33年)4月1日~〕→8ページ〔1962年(昭和37年)4月1日~〕と年を追うごとに増やしていく。
* 1962年10月1日、新聞業界初の事業部制実施を機に、編集局の「中日スポーツ編集部」→現在の「中日スポーツ総局」へ昇格し、同日より読者の要望に応える紙面刷新を行う。
:1964年(昭和39年)4月1日からは10ページに増やす。
* 1966年(昭和41年)11月3日東京競馬場で開催された第54回天皇賞(秋)を前に、東京中日スポーツと共同でHITAC(日立製)3010電子データ選別装置による出走馬11頭の戦力分析を行い、「中日が初めてギャンブルにコンピュータを使用した」と週刊誌で話題になる〔中日新聞三十年史〔1972年(昭和47年)12月1日・発行〕より〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中日スポーツ」の詳細全文を読む




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