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中村 K太郎(なかむら けいたろう、1984年5月22日 - )は、日本の男性総合格闘家。本名は中村 圭太(なかむら けいた)。東京都葛飾区出身。和術慧舟會K太郎道場所属。現DEEPウェルター級王者。SRCウェルター級グランプリシリーズ2010王者。 裸絞め(チョークスリーパー)が得意技で、本人も「裸絞め十段」と呼ばれることを望んでいる。略して「裸十段」。試合勝利後に、「1, 2, 3, K!」と言って、体全体でアルファベットの「K」のポーズをするパフォーマンスを行う。 プロデビュー時には本名であったが、プロ4戦目(2004年7月16日、修斗)からリングネーム中村 K太郎を使用している。 == 来歴 == 保育園時にテレビで見た田村亮子に憧れ、柔道を学び始める。小学1年時に福島県へ引越し、小学5年で東京に戻ると講道館少年部に入門。 専大附属高校に進学すると、3年時にインターハイ東京都予選3位となった。その後、和術慧舟會東京本部に入門し、総合格闘技のトレーニングを開始。 2003年4月、専修大学法学部に進学。 2003年7月6日、JTC(Japan Totalfight Championship)主催「全日本総合格闘技選手権」東京大会82kg級(5名参加)に出場。決勝で九十九優作に一本勝ちし、優勝を果たした。11月23日の全国大会でもオール一本勝ちで優勝を果たした。 2003年12月13日、キングダム・エルガイツ「東京大会 -飛翔-」で大森健太とキングダムルールで対戦し、三角絞めで一本勝ち。 2003年12月27日、DEMOLITIONでプロ総合格闘技デビュー。 2004年7月16日、初参戦となった修斗で坂井圭介と対戦し、スリーパーホールドで一本勝ち。 2006年7月21日、修斗環太平洋ミドル級(-76kg)王座決定戦でロナルド・ジューンと対戦し、スリーパーホールドで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2006年12月13日、UFC初参戦となったUFC Fight Night: Sanchez vs. Riggsでブロック・ラーソンと対戦し、判定負け。デビュー以来の無敗記録は15戦で止まった(13勝2分)。この記録は、14戦無敗であった前田吉朗を抜き、日本新記録(男子)となっている。 2007年6月6日付けで、修斗環太平洋ミドル級王座を返上(UFCとの契約により修斗の大会で試合ができなかったため)。 2007年9月24日、Giグラップリング2007トーナメントに出場。決勝でクリスチアーノ上西に勝利し、優勝を果たした。 2007年10月、ゴールドジムサウス東京で「K太郎道場」をオープン。 2007年11月11日、CAGE FORCE初参戦となったCAGE FORCE EX -eastern bound-で花井岳文と対戦。寝技師対決となったがグラウンドの展開はなく、膝蹴りでのKO勝ちとなった。 2008年2月2日、UFC 81でロバート・エマーソンと対戦し、1-2の判定負け。UFCでは3連敗となった。 その後一度は総合格闘技からの引退を表明したものの〔「自分に嘘をついてまでやれなかった」(中村へのインタビュー) 『ゴング格闘技』No.193、2008年7月号〕、後に撤回した。 2008年8月31日、Giグラップリング2008トーナメントに出場。3試合連続で裸絞めで一本勝ちし、2年連続の優勝を果たした。 2008年9月23日、DREAM初参戦となったDREAM.6でアドリアーノ・マルチンスと対戦し、2-1の判定勝ち。 2008年11月8日、CAGE FORCE EX -eastern bound-でキム・ジャンヨンと対戦し、キャリア初のKO負けを喫した。 2009年2月22日、アブダビコンバットアジア予選77kg未満級に出場。3試合すべて裸絞めで一本勝ちし、日本代表となった。 2009年8月22日、「強者 second vol.7」のCAGE FORCE提供試合でアンドレ・ナパウォン・マフェトニと対戦予定であったが〔【強者】8・22ケージフォース提供試合に中村K太郎が出場!ナパウォンと対戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年7月23日〕、首の負傷のため欠場となった〔欠場 公式ブログ 2009年8月12日〕。 2009年9月、アブダビコンバット2009・77kg未満級に出場。1回戦・2回戦を勝ち抜くも〔【ADCC】 日本惨敗!準決勝に勝ち残ったのは2名のみ!ADCC初日レポ 格闘王国 2009年9月27日〕、準決勝でマルセロ・ガッシアにチョークで一本負け、3位決定戦ではグレゴー・グレイシーにポイント負け。4位となった〔【ADCC】 アブダビコンバット バルセロナ大会 最終日結果速報 格闘王国 2009年9月28日〕。 2009年12月6日、Gi2009に出場。グラップリング部門決勝で小澤幸康にポイント勝ちし、優勝。大会3連覇を果たした。 2010年1月10日、DEEP X リアルキングトーナメント 2010・ミドル超級(6名参加)に出場し、優勝を果たした〔【DEEP X】中村K太郎、八隅孝平、スーパー女子高生の湯浅麗歌子ら本命優勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年1月10日〕。 2010年6月20日、SRC13のウェルター級グランプリシリーズ1回戦でオマール・デ・ラ・クルーズと対戦し、パウンドによるTKO勝ち〔【SRC戦極】最強チャンピオン誕生!サンドロが金原を僅か38秒でKO、王座を奪取(2) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年6月20日〕。 2010年10月30日、SRC15のウェルター級グランプリシリーズ準決勝で和田拓也と対戦し、パウンドによりタップアウト勝ちを収めた〔【SRC戦極】泉浩が石井慧との対戦をアピール!ウェルター級GP決勝は中村VS榎本(2) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月30日〕。 2010年12月30日、戦極 Soul of Fightのウェルター級グランプリシリーズ決勝でYasubei榎本と対戦し、チョークスリーパーによる一本勝ちを収め優勝を果たした〔【SRC戦極】12・30日沖発がフェザー級王座獲得!交流戦はSRCが勝利(3) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月30日〕。 2011年9月23日、5年2か月ぶりの参戦となった修斗で村山暁洋と対戦し、スリーパーホールドで一本負け。お株を奪われた格好となった。 2012年12月24日、VTJ 1stで鈴木信達と対戦し、リアネイキッドチョークで一本勝ち。 Twitterで自身の誕生日2013年5月22日に入籍したことを発表。 同年8月24日に結婚披露宴を行ったが、そこで結婚相手が女子総合格闘家の杉山しずかであることが明らかにされた〔〕。 2015年7月20日、DEEPウェルター級タイトルマッチで悠太と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2015年9月27日、UFC Fight Night: Barnett vs. Nelsonで負傷欠場したストラッサー起一の代役として7年ぶりのUFC復帰戦となりリー・ジンリャンと対戦。1,2Rにリーの打撃で押され出血し苦しい展開になるが、3Rにスタンド状態でバックを奪いそのままリアネイキドチョークでUFC初勝利。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村K太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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