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中村 メイコ(なかむら めいこ、1934年5月13日 - )は、日本の女優、歌手、タレントである。旧芸名は中村 メイ子。本名神津 五月(こうづ さつき)。芸名は、新旧ともに本名の五月に由来する(日本語の「五月」を英語の「May」に置き換えたもの〔黒木メイサも同由来の芸名命名がなされている。〕)。ホリプロ所属。 == 来歴 == 東京府(現・東京都)出身。2歳の時に、P.C.L映画製作所(現・東宝)制作の『江戸っ子健ちゃん』に出演し、映画デビューする。その後、映画やラジオに多数出演、複数の配役をこなす7色の声として有名となった。天才子役としてデビューして以来、榎本健一や古川ロッパ、徳川夢声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演した。幼い頃、菊池寛と会食している。NHKにはテレビ本放送開始以前のラジオ時代から出演。テレビ放送においては、1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに先立つ実験放送の頃から出演し、黒柳徹子と並んで日本のテレビ放送黎明期を語る上で欠かせない存在となっている。 16歳の頃、雑誌社でアルバイトをしていた時、当時編集長格だった吉行淳之介に熱烈な恋をしたが、吉行は既に結婚していたため片思いに終わり、痛手に耐えかねてアルバイトをやめる〔『北杜夫マンボウぱじゃま対談 美女かいぼう編』p.50, 57-58(集英社、1978年)〕。吉行淳之介の短編『水の畔り』(1955年)の描写「ある冬の日、冗談のように彼の両手でつつみこんだ少女の片方の掌を、乱暴に彼の外套のポケットへ投げこんだ…」に登場する少女のモデルは中村メイコだった〔『週刊読売』1994年8月14日号。〕。その後、神津善行と知り合い1957年に結婚した。 1955年には歌手としても活動し、「田舎のバス」(三木鶏郎作詞・作曲)がヒットした。また、ボニージャックスとともに関西の製菓会社パルナスのCMソングも歌った。「新妻に捧げる歌」(江利チエミの歌で、神津善行作曲)の作詞者である。 『NHK紅白歌合戦』で1959年の第10回から1961年の第12回まで3年連続で紅組司会を務めた。そのラジオ中継の音声が現存し、第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、中村の司会も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村メイコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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