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中村 元治(なかむら もとはる、1899年(明治32年)12月3日〔『新編日本の歴代知事』1073頁。〕 - 1982年(昭和57年)9月1日〔『現代物故者事典 1980-1982』237頁。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選大分県知事、陸軍司政長官。 ==経歴== 神奈川県出身。中村元智の養子となる〔。第一高等学校を卒業。1923年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し群馬県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』242頁。〕。 以後、群馬県社会課長、愛知県工場監督官、山梨県勤務、埼玉県地方課長、京都府勤務、青森県経済部長、広島県学務部長、福井県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長などを歴任〔。1942年8月、陸軍司政官に任じられ第16軍軍政部付のジャワ島パティ州長官を1944年9月まで務めた〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』139頁。〕。 1944年10月、大分県知事に就任。空襲の対策、戦後の治安維持などに尽力した〔。1945年10月27日、知事を依願免本官となり退官〔『官報』第5644号、昭和20年11月2日。〕。その後、公職追放となる〔。 その後、東京都中小企業団体中央会常任理事、全日本火災共済協同組合連合会会長などを務めた〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村元治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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