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中村 孝(なかむら たかし、1917年 - 2009年2月19日〔天地人 (SANPOWEB、2009年3月17日)〕)は、日本の工学者、実業家。電元社製作所元代表取締役、一般社団法人明専会元会長、工学博士。社団法人日本溶接協会、財団法人日本溶接技術センター、摩擦圧接協会などの設立に奔走し、溶接技術向上、人材育成、工業標準確立の中心的役割を果した。 == 来歴・人物 == 山口県徳山市(現周南市)出身。1940年に明治専門学校(現・九州工業大学)電気工学科を卒業し、三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所に入社した。1945年にフタバ産業株式会社の設立に参加し、常務取締役、監査役などを歴任した。1950年に電元社製作所株式会社に移り、取締役技術部長、常務取締役、専務取締役、代表取締役を歴任した。1962年に「点溶接における加圧力の実験的研究」で大阪大学から工学博士の学位を受けた。この年より九州工業大学の同窓会組織である社団法人明専会の理事に就任し、1978年に副会長、1988年から1996年まで会長を務めた。1965年に溶接学会の佐々木賞を受賞、1977年に黄綬褒章、1988年に勲五等旭日章、1989年に紺綬褒章を受章した。 「母校創立の精神と、明専~九州工大と連なる輝かしい伝統に想いを馳せ、100年の歩みを伝えるような記念館を、創っていただくようお願いいたします」との書信とともに九州工業大学創立100周年記念の記念館の建設費として5億円を寄付した〔「一般社団法人 明専会 第1回 定時社員総会」に出席して 〕。建設された百周年中村記念館は2013年に開館した〔百周年中村記念館の開館式を行いました 九州工業大学 〕。百周年中村記念館では、竜巻研究の世界的権威である藤田哲也理学博士の研究に関する資料と中村孝工学博士の業績を展示し、一般公開している〔百周年中村記念館に「中村ギャラリー」「藤田ギャラリー」を開設・一般公開しています 九州工業大学 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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