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中村 巍(なかむら たかし、1873年(明治6年)7月3日〔衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、28頁。〕 - 1949年)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、外交官。 == 経歴 == 和歌山県有田郡湯浅村(現在の湯浅町)に〆野弥七の三男として生まれ、中村清子の相続人となった〔『新興日本名士録』なねの部 p.30〕。東京高等商業学校(現在の一橋大学)を中退し、外務省留学生となった〔『代議士詳覧』p.376-377〕。1895年(明治28年)、外務省書記生(専門職)となり、1897年(明治30年)に外交官及び領事官試験(いわゆるキャリア採用試験)に合格〔。ワシントン・福州・オタワ・ロンドン・ニューヨークなどで領事を務めた〔『新代議士名鑑』p.329〕。外務省通商局長を経て、1918年(大正7年)には駐アルゼンチン公使に就任した〔『官報』第1773号、大正7年7月1日〕。 1923年(大正12年)に退官して、翌年の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。さらに第16回衆議院議員総選挙にも再選された。その間、加藤高明内閣で外務政務次官を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村巍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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