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中村 弘海(なかむら こうかい、1925年(大正14年)6月21日 - 2008年(平成20年)11月30日)は、昭和時代後期の日本の政治家、企業経営者。 ==来歴== 長崎県北松浦郡江迎町出身。長崎県北部のバス会社である西肥自動車(西肥バス)の創業家に生まれる。長崎県立佐世保中学校(現長崎県立佐世保北中学校・高等学校の前身の一つ)卒業後、1951年(昭和26年)に久留米医科大学(現久留米大学)を中退し西肥自動車に入社、同社運輸課長を経て1954年(昭和29年)10月、前月に没した父の後任として同社代表取締役社長となる。 1969年(昭和44年)、第32回衆議院議員総選挙で旧長崎県第2区から初当選、自由民主党に所属。以後、1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で落選するまで5期14年務めた。党内では当初川島派→椎名派、同派消滅後は中川派に属した。 政界では第2次田中角榮内閣第2次改造内閣と三木内閣で建設政務次官(1974年11月 - 1976年9月)、三木内閣改造内閣で防衛政務次官(1976年9月 - 同年12月)を歴任したが、入閣は果たせずに終わった。 1986年(昭和61年)には西肥自動車社長職を長男の中村克介(2008年退任、現同社顧問)に譲った。2008年11月30日、佐世保市内の病院で老衰のため死去(83歳)。 社団法人日本ソムリエ協会よりソムリエ・ドヌール(名誉ソムリエ)の称号を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村弘海」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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