|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village
金澤 攝(かなざわ をさむ、Osamu N. Kanazawa、1959年2月 - )は、金沢市生まれの音楽家、作曲家、ピアニスト。前名「中村 攝」。現在も金沢市を拠点として独自の活動を展開している。 1959年に生まれ、3歳よりピアノと作曲を始める。10歳で母のバレエ公演のピアニストとして旧ソ連イルクーツク市へ随行。1974年フィリップ・アントルモンに見出され中学卒業と同時にパリへ旅立つ。以来1978年帰国までの4年間をパリに遊学。その間、天才ピアニストとして注目され地元ラジオなどに出演する。 18歳の時、歴史に埋もれた名作曲家の発掘と紹介を生涯の指針と定め、以来独学。 1979年メシアン・コンクール第2位(1位なし)。 現在200名を超える作曲家をターゲットに研究、演奏を行っている。また、自作曲は100曲を超え、著書に『失われた音楽〜秘曲の封印を解く〜』がある。 父は洋画家の中村秀雄、母は日本洋舞連合会長の中村祐子、弟に脚本家のNAKA雅MURAがいる。 == 年譜 == * 1959年2月 - 金沢市で生まれる。 * 1962年 - 自ら楽器店へ赴き、ピアノを求める。 * 1969年 - 母のバレエ公演にピアニストとして随行し旧ソ連イルクーツクにて演奏。 * 1970年 - 母の東京公演のピアニストとして『展覧会の絵』を独奏。 * 1974年 - パリへ遊学(〜1978年)。 * 1975年 - 菅野沖彦に見出されデビューアルバム『スフィアー』リリース。 * 1978年 - ヒンデミットピアノ曲全集リリース(4枚組)。 * 1979年 - メシアン・コンクール第2位(1位なし)。 * 1982年 - スタジオ・ルンデ シリーズコンサート開始(〜2006年6月)。 * 1985年 - 第1回日本現代音楽コンクール 審査委員長(園田高弘)奨励賞。 * 1989年 - エピックソニーより『アルカン選集』(全8集)リリース開始。アルカンブームの火付け役となる。 * 1991年 - 村松賞大賞。 * 1996年 - 金沢市民芸術村にて『20世紀の響き』シリーズ開始(〜2006年6月)。 * 2002年 - 天意を感じ本名「中村攝」より「金澤攝」に改姓。 * 2004年 - 石川県立音楽堂において第1回音楽堂 金澤攝シリーズ『生誕180年記念 ライネッケ連続ピアノコンサート2004』全4回の構成・演奏を実施する。 * 2005年 - 龜鳴屋より著書『失われた音楽』を出版。 石川県立音楽堂にて第2回音楽堂 金澤攝シリーズ『19世紀のブゾーニ』の構成・演奏を実施する。 * 2006年 - 石川県立音楽堂にて第3回音楽堂 金澤攝シリーズ『カミーユ・サン=サーンスの生涯』全5回の構成・演奏・プレ講座を実施。世界初演を含むサン=サーンスの全ピアノ作品、64タイトル117曲を通演。PTNAを通してYouTubeにマイナーな作品の演奏動画の配信を開始。 * 2007年 - 石川県立音楽堂にて『シューベルト・フェスティバル』の一環として『ピアノソナタ 第19番 ハ短調』を独奏し、約120名の観客に衝撃を与えた。また、第4回音楽堂 金澤攝シリーズ『サン=サーンスの隣人たち』全5回の構成・演奏・プレ講座を実施。各回「アントワーヌ・マルモンテル」、「ヴィルヘルム・クリューガー」、「エドゥアール・シラス」、「アントン・ルビンシテイン」、マルモンテルを取り上げ、代表作を通演した。 * 2012年 - 公開していた290曲の音源の配信を停止した。その理由としては、漫然と公開していては未知の作品の脈絡が見えず、不本意な演奏も多いため、作曲家たちに申し訳が立たないことを挙げており、新たな形での紹介を検討中だと述べている〔金澤攝さんの音源を一旦、すべて配信停止 、2012年7月18日、2015年12月13日閲覧〕が、2015年現在一部が視聴可能となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金澤攝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|