|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 珍 : [ちん] 1. (adj-na,n) rare 2. curious 3. strange
銀杏BOYZ(ぎんなんボーイズ)〔「銀杏BOYS」は誤記。〕は、日本のパンクロックバンド。なお「銀杏ボーイズ」と表記されることもある。 前身のバンドGOING STEADYの時に設立したインディーズレーベル『初恋妄℃学園』に所属し活動している。 == 来歴 == 2003年1月、GOING STEADY解散後、峯田和伸が新たに結成した。当初は峯田のソロ名義で、エレファントカシマシの企画盤『花男』にボーカルのみで参加など活動していたが、元GOING STEADYのベースの安孫子真哉とドラムの村井守を誘い、チン中村をギターに迎え4人編成で活動を開始。 2003年、2004年とコンスタントにライブ活動をし、その間にレコーディングを行う。そして、2年弱続いたレコーディングも全工程を終え、2005年1月15日、『DOOR』『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』を2枚同時発売。オリコンアルバムチャート6位と7位にランクインする。 2005年2月から全国ツアー「銀杏BOYZ 世界ツアー 2005」を開始。最初のライヴ中に峯田が肋骨を骨折し数公演が延期、6月には右足を骨折し再度数公演が延期になるも、9月10日Zepp Sendaiをファイナルにし全日程を終了(ただ、実質的なツアーファイナルの9月23日の日比谷野外大音楽堂の公演にて、治りかけていた右足を骨折)。その間の8月7日に出演した「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」で、峯田がライブ中全裸になり、書類送検された。 2005年11月、下北沢の再開発計画を考えるプロジェクト「S.O.S.(The Sound of Shimokitazawa)」に峯田が弾き語りで出演し、その後、チン中村とブログで募集した女性4人と共に"敏感少年隊"を結成した。下北沢の再開発については下北沢#下北沢駅周辺地区街づくりを参照。 2007年7月、ボーカルの峯田が台湾でのライブの際(台湾台北市7月28日夜)、舞台の上で下半身を見せ、警察当局の取り調べを受けた。29日付の台湾紙、聯合報によると、峯田は故意ではなかったと説明したが、警察当局は刑法の風紀妨害罪に触れるとしている。なお、2007年8月3日に川崎クラブチッタで行われたライブイベント、SET YOU FREEのMCで峯田は「警察に通報したのは新聞記者」と言っている。 2007年11月30日、TBSの報道番組『筑紫哲也 NEWS23』内の金曜深夜便というコーナーに生出演し、『光』を生演奏。テレビ番組への出演はGOING STEADY時代に一度あったが演奏はしておらず、生放送は今回が初となる。ボーカルの峯田の演奏中の格好は短パン一丁。番組MC陣が囲むテーブルの上に乗りながら熱唱して いるところで番組は終了した。 2007年12月 - 2008年1月、「せんそうはんたいツアー」を7公演(6公演+追加1公演)行う。 2011年6 - 7月、東日本大震災の被害にあった地域を中心に「銀杏BOYZ 2011 スメルズ・ライク・ア・ヴァージン・ツアー」を4公演行う(6/27 水戸 LIGHT HOUSE、6/30 club SONIC いわき、7/4 仙台 CLUB JUNK BOX、7/7 盛岡 CLUB CHANGE WAVE)。単独ライブは現時点で、7/7(木)の盛岡が最後となっている。 2013年11月に、9年ぶりとなるアルバムを2枚同時にリリースすること、安孫子真哉とチン中村の脱退告知がなされる。また、12月には村井守の脱退が予告された。 2014年1月15日、アルバム『光のなかに立っていてね』、ライブリミックスアルバム『BEACH』が発売される(告知などでは、ニューアルバムを2nd Albumとしているところがある。理由は前作2枚が、共に1st Albumだとしていたため)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銀杏BOYZ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|