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中村玉緒(なかむらたまお、1939年(昭和14年)7月12日 - )は、戦後昭和から現在にかけて活躍中の女優、タレント。本名(旧姓)及び旧芸名は林 玉緒(はやし たまお)、結婚後の本名は奥村 玉緒(おくむら たまお)。愛称はお母さん。 京都女子高等学校卒業。長良プロダクション所属。 == 来歴 == 京都府京都市左京区出身。父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎。夫は俳優の勝新太郎、長男は俳優の鴈龍(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。また兄は歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎、その子に四代目中村鴈治郎・三代目中村扇雀兄弟がいる。 1953年、本名の林玉緒で松竹『景子と雪江』に映画初出演。しかしその後、お呼びがかからなかった。どうしても女優になりたかった玉緒は、親戚で大映の重役も兼ねていた長谷川一夫に頼み込み、1954年に大映に入社することとなった。初年度の給料2万円は当時としては破格で、ハイヤーで撮影所通いという優遇だったが、主役は回ってこなかった。1960年代半ばまで幼馴染の市川雷蔵や山本富士子、若尾文子らスターの脇役として大映で活躍。当時の玉緒の声は甲高く可愛らしく、純情な娘役として多数の映画に出演した。 1970年代にはテレビドラマの脇役として活躍。不幸な母を演じさせたら右に出る者はいないと言わしめる程の痛々しく健気な母親役を得意とし、評価を得ていた。 1994年に明石家さんま司会の『明石家多国籍軍』などでの強烈な天然ボケキャラクターでも人気を得る〔MBSドクホン第1号(2004年4月号)中村玉緒へのインタビューより。〕(以降、さんまが司会を務める番組の常連出演者になる)。この頃より長者番付にも名を連ね、主演ドラマや主演舞台もこなすようになった。 2011年からは京都名誉観光大使に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村玉緒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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