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中村 白葉(なかむら はくよう、1890年11月23日 - 1974年8月12日)は、ロシア文学者。 ==経歴== 神戸市生まれ。本名・長三郎。別号は天涯。名古屋商業学校(現・名古屋市立名古屋商業高等学校)を出たのち、1912年、東京外国語学校(現・東京外国語大学)ロシア語科卒業。八杉貞利に師事する。米川正夫は一歳年下で在学中に知り合い、一緒に同人誌『露西亜文学』を刊行しロシア文学の紹介を始める。卒業後、鉄道院に勤めるが文学への志が強く、辞職、雑誌編集者となる。24歳の時、新潮社にいた投書仲間の加藤武雄より「罪と罰」の翻訳依頼を受け、1914年、それまで内田魯庵の英語からの重訳で読まれていたのを、初めてロシア語からの邦訳を刊行する。15年、朝日新聞社に入るが、翌年、貿易商野沢組のロシヤ部に二年間勤務。19年、退職し、『アンナ・カレーニナ』を翻訳、また22年ころ、福岡日日新聞に自伝的小説「蜜蜂の如く」を連載した。23年の震災後、日本電報通信社文藝部に三年半勤務するが辞職、以後ロシア文学の翻訳に生涯を捧げる。トルストイ、チェーホフ、プーシキンの作品は、その大半を手がけた。『アンナ・カレーニナ』は何度も改訳を行った〔中村白葉著『ここまで生きてきて―私の八十年』河出書房新社、1971〕。1956年以来、度々木崎夏期大学(長野県大町市)でロシア文学の講師を務めた。大町市内に「事実は唯一無二のもの、その重さは比較を絶する」との筆跡を刻んだ碑が建立された。 1973年、日本芸術院賞を受賞〔『朝日新聞』1973年4月10日(東京本社発行)朝刊、22頁。〕。 ロシア文学者の中村融は、女婿にして養子。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村白葉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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