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中村祐二(なかむら ゆうじ、1970年4月29日 -)は熊本県出身の元陸上競技選手(長距離種目)である。 == 略歴・人物 == 熊本県立球磨農業高等学校(現・熊本県立南稜高等学校)を卒業後、新日鐵化学に入社し陸上競技を続けるものの伸び悩み、引退して実家の農業を継ごうとした時に山梨学院大学陸上競技部の監督を務める上田誠仁に声をかけられ、1993年に山梨学院大学へ入学。箱根駅伝においては、第70回大会の3区で区間賞、第71回大会の1区で区間賞をそれぞれ取り、ステファン・マヤカらと共に同大学陸上競技部の箱根駅伝連覇に貢献した。また、1995年3月に行なわれた第50回びわ湖毎日マラソンで初マラソンにもかかわらず2時間10分49秒の記録で優勝し、1995年世界陸上選手権のマラソン日本代表に選ばれ結果は12位であった。 しかし、3年次の箱根駅伝第72回大会においては、4区を走るものの途中で足に故障を起こし上田監督に制止され棄権となり、中村は悔しさのあまり涙した。それでもステファン・マヤカの卒業後は名実共に同大学のエースとなり、翌年の第73回大会では、花の2区に抜擢され、そこで8人抜きを演じ区間賞を取り前回のリベンジを果たした。 卒業後は日清食品に就職するも再び伸び悩み退社。地元熊本に戻り実家の農業を継ぐ。また、熊本県代表として九州一周駅伝を走るなどした。現在は引退し、静岡で会社員として働いている。〔箱根の屈辱「ブレーキ」はなぜ起きたのか - 陸上ニュース 〕 なお、愛知製鋼陸上部に中村悠二という姓と名前の読みが同じ選手がいて、2012年の第88回東京箱根間往復大学駅伝競走では山梨学院大学の選手として2区を走ったが、関係性はない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中村祐二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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