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中村祐庸 : ミニ英和和英辞書
中村祐庸[なかむら すけつね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [むら]
 【名詞】 1. village 

中村祐庸 : ウィキペディア日本語版
中村祐庸[なかむら すけつね]
中村 祐庸(なかむら すけつね、1852年嘉永5年)- 1925年4月1日)は、日本軍楽指導者、海軍軍楽長。
== 経歴 ==
薩摩国鹿児島に生まれる〔。明治維新前に、薩摩藩の楽隊に入る〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。
1969年(明治2年)、ジョン・ウィリアム・フェントンについて西洋音楽を学び、翌1870年には御親兵付となる〔。1871年に横浜で、フェントンによる西洋軍楽の伝習が始まると、海軍付としてこれに参加し、後の海軍軍楽隊の形成に参画した〔。
一貫してコルネットフリューゲルホーンなどの高音金管楽器を専門としていたが、1885(明治18)年7月20日の音楽取調掛演奏会に「オボ 楽長 中村祐庸」という表記(中村理平「洋楽導入者の軌跡」p.279)があり、この時期、試験的にオーボエ演奏を試みていた可能性がある。なお、この時代、日本では未だダブルリード楽器は演奏困難として正式には導入されていなかった。
1871年に、海軍最初の軍楽長となった〔〔。
1874年佐賀の乱や、1877年西南戦争にも(政府軍側として)従軍した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中村祐庸」の詳細全文を読む




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